「のんねぇ、おっきくなったら天使になるのぉ」



今思えば、昔の彼女は白い肌に黒い髪、といういかにも知的そうな雰囲気を醸し出していながらも、
どこか人とずれた感性を持った、いわゆる"不思議っ子"だった。

大人がちょっと首を傾げ、あるいは不気味がるような。


無論あの頃の俺(当時八歳)にとっては五歳年下の従妹、岩瀬希が不思議っ子だからと言って
それは大した問題ではなかったが。



だけど今になって考えてみれば、だ。
彼女はあのまま、どこか未知の領域を思わせるような部分を残したまま成長したって良かったはずだ。







彼女が、突然空を指さして土星、と呟いた日、
猿山の映ったテレビに張り付いて帰る、帰ると叫んでいた日々から、十年以上が経っていた。




彼女はマンモス校と呼ばれる超一般的(一般的を超すと何になるのかは不明だが)な私立高校に在学していて、将来の夢はこれまた超一般的で、むしろこんなのを夢にしている人は少ないんじゃないかとも思わせる、"OLになること"なのだという。


髪は相変わらずの黒いストレートで、化粧の"け"の字も思わせない顔立ち。

どこにでもいるような、教室の中では "いるんだかいないんだか分かんないよねー"とかギャル達に
言われて大爆笑さえされてそうな女の子だ。



人付き合いが苦手、とか上がり症、とか少し人と違った趣味がある、とか
そんな些細な特徴すら持っていない。


たった二画で描かれているだけの「人」。



鉛筆で白い紙に名前を書いて、それを消しゴム消したらあっさり存在ごと消えてしまいそうな。
今のは少し言い過ぎかもしれないけど。




別に文句を言いたいわけではない。

だけど、たったその二画に何も脚色されないまま彼女は生きていくのかと思うと、
ここで変に従兄としての哀れみの心が生まれる。



その同情心から、俺は彼女とわりとまめに連絡を取り合い、他愛もない話をすることにしていた。
彼女が俺と話しているうちに少しでも"特徴"を持ってくれれば……なんていうちょっと上から目線で。







大学の友人と散々酒を浴びて帰ってくると同時に、尻のポケットに入れてあった携帯が震え始めた。
何だよーと意味なくその黒い塊に悪態をついてから、電話に出る。


しばらく続いた沈黙に、不自然な風の音。眉を顰める。





「夢って、叶えるためにあるんだよね」


いたずら電話かと思いいっそぶち切ってやろうかと思った瞬間、
その声が従妹の声にそっくりなことに気付き、
アルコール臭が酷いだろうため息をついて携帯を握りなおす。




「そうだね、うん。そうだよ」


閉まらない口で舌足らずに返す。会話の内容が何だったのかは、忘れた。



また大きな風の音が入った後、電話は一方的に打ち切られた。
まぁいいや、なんて適当に呟いて、俺はベッドにダイブする。




ふと思い返す。夢って何だ。
彼女の夢、OLなんて何もしなくても叶うものじゃないのか、俺は女じゃないから知らないけど。





次にその黒い塊が全身を使って俺に存在をアピールしてきたのは、
俺が程良く寝汗を掻き始めて、酒も大分抜けかけてきた頃だった。


その電話を切った瞬間、俺は思わずため息混じりの笑い声を上げていた。





何故俺がこんなくだらないことに付き合わされる羽目になったんだ。さっぱり分からない。
変な同情心から首を突っ込んだことがいけなかったのか、うん、きっとそうだろう。


彼女は俺が危惧する必要のない、誰より大きな"特徴"を未だに残していた子だったのだ。
高校二年生にもなって、まったく笑える。俺の同情心を返せ。



俺はちゃんとあの頃釘を刺したのに。「人は天使にはなれないんだよ」って。







END







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