言葉にできない
     I love you
19


ぷつり、と漂っていた何かが途切れ、私はゆっくりと瞼を開く。
出迎えた真っ白な光に、私は目を細める。その視界に、不意に闇が訪れた。





「目、覚めた?」


少し興奮気味に嬉しそうな笑顔を浮かべた亜季。
私は驚いて目を勢いよく開き、思わず身体を起こす。その瞬間、頭に激痛が奔った。



「大丈夫っ?」

心配そうにその大きな瞳を曇らせた亜季を、頭を押さえながら見る。





「何で……」


身体をゆっくりと前屈みに起こし、小さく呟く。掛け布団も何も、全く見覚えのないものだった。



「お姉ちゃん、栄養失調と過労で倒れたんだよ」


心配そうにベッドの端に手をかけた亜季を、見つめる。
辺りを見回す。淡白な何の変哲もない病室だった。





「どうして、亜季が?」

後頭部を覆う痛みを堪えながら尋ねる。



「丁度家に帰ろうと思ってたら、駅前でお姉ちゃん見つけたの」


意識が途切れる直前、亜季の声をどこかで聞いた気がした。
それは、気のせいでも幻聴でもなかった。





「冬矢さんも来てたんだけど、お姉ちゃんの寝顔見て安心して帰ってったよ」


穏やかな笑顔で言った亜季に、そっか、と無理やりに小さく笑みを浮かべる。
私に顔を見せる前に帰ってしまったのは、きっと冬矢なりの気遣いだ。







「冬矢さんから、全部聞いた。あの時から、今までのこと」


亜季はそう言って、きゅっと唇を結ぶ。下唇を噛み締めた。





「本当はあの日ね、全部話そうと思ってたの。大学行って、隼斗と再会したことも、付き合ってたことも」


小さく、だけど確実に、亜季が話し出す。
胸の痛みが加速して、思わず耳を塞ぎたくなる手で、掛け布団を握りしめる。





「あの日のことも、謝りたくて……だから、全部ちゃんと話そうって思ってた」


小さく俯いた亜季の言葉に、私は顔を上げる。


私が二度目に亜季を裏切り、深く傷つけた日。
亜季は私に全てを話そうと、謝ろうとしてくれていた。それなのに、私は……。







「……ううん、本当はそんなの嘘」


僅かに笑って顔を上げた亜季の目は、今にも零れ落ちてしまいそうなほどの涙が溜まっていた。





「本当は心のどっかで、復讐してやろうって思ってた。自分がずっと好きだった人、大好きな姉妹に取られる
気持ち、思い知らせてやろうって。それでお姉ちゃんが苦しめばいいって、そう思ってた」


真っ赤に染まった目を少し伏せて、下唇を噛み締める亜季を、目を細めて見つめる。



憎まれたって、当然だった。あの時刺し殺されてたって、それでも文句なんて一つも言えないほど、
私は亜季に酷いことをした。





亜季がどれだけ隼斗を好きだったかなんて、痛いほどよく知ってた。
輝く笑顔で隼斗のことを話す亜季を、一番傍で見続けてきたのは、私だったから。



そして亜季がどれだけ私のことが好きで、大切に思っていて、信じていたかだって、私が一番よく分かってた。
だって私だって同じくらい、亜季のことが大好きで、大切だったから。





「ちゃんと話すとか言っといて、汚いよね、私」


嘲笑するように笑った亜季の瞳から、一粒の滴が転がり落ちる。
口元に笑みを浮かべながらも、眉を寄せて必死に頬を手の甲で拭う亜季の姿に、胸が強く締め付けられる。





「冬矢さんに、怒られちゃった。誰かに簡単に譲れるような気持ちなら、
大事な妹裏切ってまであいつの傍にいようとしない、って」


小さく、今度は嘲笑するようにではなく笑みを浮かべた亜季に、目を細める。



あの事件のことを、親よりも誰よりもよく理解してくれているのは冬矢だ。

あの後どんな風に私が過ごしてきたか、亜季のことを思う度にどんなに胸を痛めたか、
冬矢が一番近くで見守り続けてきてくれた。







「お姉ちゃんがずっと黙ってたの、私のためなんでしょ?」


亜季が、俯けていた顔を上げて、優しい目で私を見つめる。黙り込んでしまった。

確かに、亜季を傷つけたくない一心だった。だけど同時に、それ以上に自分が傷つきたくなかった。





「……ごめん。私、お姉ちゃんのこと傷つけてばっかりで……」

亜季は再度瞳を潤ませる。



「そんな、亜季は何も……」


そう言って亜季の方に身を乗り出した私の手に、優しく温かい手が重なる。
驚いて、勢いよく亜季を見た。静かにどこか儚げな笑みを浮かべた亜季は、小さくゆっくりと首を左右に振る。





「もういいよ。もう、私のこと庇ったり、私に気遣ったりしないで。
私はもう、お姉ちゃんのおかげで十分幸せな思いできたから」


そっと、重ねた右手が握られる。真っ直ぐに見つめた亜季の表情は、昔のような穏やかなものだった。





「だからもう、楽になっていいんだよ」

優しく、亜季が微笑む。



「亜季……」


小さく呟き、滲んだ世界で亜季を見つめる。一粒、頬を滴が伝った。
そっと、亜季の手が離れる。





「ちょっと待ってて」


柔らかな笑顔を浮かべた亜季は、立ちあがって扉の方へ向かう。静かに扉が開いた。

薄暗い向こうの世界に見えた人影に、目を細める。亜季は笑みを浮かべて身を引いた。
それに促されるように、潜るようにして入ってきた人に、目を見張る。





「隼斗……」

目を丸くして、小さく呟く。隼斗は照れたように顔を強張らせたまま、口の端を引っ張って歯を見せた。





「私、外行ってるから」


私の方を振り返った亜季は、屈託のない笑顔で言う。
そして口だけを動かして、お幸せに、と言って笑った。涙が更に溢れ出す。







静かに歩み寄ってきた隼斗が、ベッドの横まで来て足を止める。



「……心配した」

小さく呟くように言って、目を細めて私を見た隼斗に、頷いた。



「怜が倒れたって実家に連絡入って、まじで焦った」

前髪を掴んだ隼斗は、顔を歪めて言う。



「……実家に、いたの?」

小さく尋ねる。あぁ、と隼斗が頷いた。





「こう見えて、結構落ち込んでたから。傷心を癒やす旅、みたいな」


冗談めかしてはにかんだ隼斗に、私も僅かに笑みを浮かべる。
隼斗は笑いながら言うけど、その傷の深さは分かっていた。







「……冬矢さんと亜季から、全部聞いた」

静かに言った隼斗は、ゆっくりと長く息を吐き出す。ぐっと布団を握りしめた。



「ごめん、俺、あん時お前の気持ちに気付いてやれなくて……」


悔しそうに眉を寄せた隼斗は、乱暴に前髪を掻き上げる。



気づけるはずなんてない。人には、他人の心を覗き見る能力なんてないんだから。

隼斗だって同じだ。どれだけ隼斗が有能だって、どれだけ私に気を使ってくれていたって、
私の気持ちに気づくことなんてできなかった。





「勝手に舞い上がって、勝手に怒って……今も昔も、進歩ねえよな。信じるとか、言っといてさ」


眉間に皺を寄せて顔を歪めた隼斗に、小さく首を振る。隼斗は何も悪くなかった。
勝手だったのは、いつだって私の方。





そっと、ベッドの上に置いたままの私の右腕に、隼斗の手が触れる。顔を上げた。
間違いなくその手の行き着く先が予想できて。自然と身体が強張る。





「……ずっと、痛かっただろ?」


悲しそうに曇らせた瞳が、真っ直ぐに私を捉える。視界が一気に歪んだ。
痛かったのは、その傷じゃない。心だ。隼斗を傷つけたという、その事実が付けた心の傷。


ずっとずっと、痛かった。隼斗といられなかった四年間も、再会してからだって、ずっと。




「ごめんな」



そっと、隼斗が身体を寄せる。ふわり、と優しく抱き寄せられた。
ベッドの上に座ったまま、不自然な形で私を抱き締める隼斗の背中に、そっと手を回す。





「俺が気付けないようなこととか、辛いこととかあったら、これからはちゃんと言って」


哀願するように言った隼斗の肩に顔を埋めて、頷く。その温もりに、涙が零れそうだった。





「どんなことがあっても、俺は怜から離れたりなんかしないから」


力強く言って、私の身体をぐっと抱き締める。もう一度、大きく頷いた。



自分の思いばかりで、隼斗を傷つけたあの日。隼斗を信じることができなかったあの日。
そんな日は、きっともう二度と来ない。来てはいけない。





「隼斗」

涙をぐっと堪えて、笑顔を作って彼に呼び掛ける。



「ん?」

そっと私の身体を離した隼斗が、目を細めて私の大好きな笑顔を作り、私の顔を見る。





「好きだよ」



笑顔で口にする。


伝えたくて、伝えたくて。
溢れそうなほど大きかった、だけど決して口にすることのできなかった、たった一言の、愛の言葉を。







END








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