言葉にできない
     I love you
18


夕食のアロエヨーグルトを口に運んだ瞬間、テーブルに置いてあった携帯がけたたましい音を上げる。
スプーンを置いてそれを手に取り、開く。見覚えのない番号に、眉を顰める。



「もしもし」

怪訝に思う気持ちを隠さずに電話に出る。



「あ、もしもし怜ちゃん?」

妙に馴れ馴れしく響いてきた声に、私は更に眉を寄せる。聞き覚えのない声だった。



「久しぶりだねー。俺、俊貴。隼斗のダチの。覚えてる?」

やたら明るいテンションで言った俊貴に、ようやく私は小さく数回頷く。直後、再度眉を寄せた。





「何で、この番号……」


小さく呟く。番号を教えた覚えはない。
合コンで悪酔いして絡んできた男なんかに、不用意に教えるはずがない。



「千佳ちゃんから聞いたんだ。ごめんねー、急に電話しちゃって」


低く、ため息を吐き出す。
千佳も千佳だ。私がこういう男を嫌っているのを知っていて、何故番号を教えるのか分からない。



「いいけど」

不機嫌さを押しだしつつも、仕方なしに答える。嫌ですと答えるのも、それはそれで変だ。






「ところでさー、隼斗どこ行ったか知らねえ?」

突然隼斗の名前を持ち出した俊貴に、私は心臓を飛び跳ねさせる。



「え?」

小さく返す。言っている言葉の意味が、頭の中で噛めずにいた。



「あいつ、電話かけても繋がんねえし、大学もしばらく来てないから、
家行ってみたんだけど家にもいなくてさー」


どこか拗ねるような口調で言った俊貴に、鼓動が速まっていく。
ぐっと膝の上に置いた手を握りしめた。





「……何でそんなこと、私に聞くの?」

震えそうになるのをぐっと抑えて尋ねる。



「や、隼斗よく嬉しそうに怜ちゃんの話してたからさ。
もしかしたら怜ちゃんなら知ってんじゃないかなーって思って」


どくり、と心臓が波打つ。




嬉しそうに? 私は、あんなに隼斗を傷つけたのに? 

隼斗はそれでも怒ってないと、私を信じてるからと言ってくれた。
だけどそれでも、あの時私が彼を深く傷つけたことに何の変わりもなくて。


そんなことも忘れて、私はまた隼斗を深く傷つけたのに……。





「……ごめん、私にも分かんない」


小さく弱弱しく返す。
分かるはずがない。あの日以来、私は隼斗と連絡を取ろうとすることすらしなかったのだから。


ただ、私はひたすらに弱かった。
隼斗を傷つけるだけ傷つけて、罪悪感に苛まされ、逃げてしまったのだ。





「いや、俺の方こそ急にごめんねー」

軽いノリで言った俊貴に、話の終わりを連想させられる。



「んじゃ」

予想通りの明るい声に、私は携帯をぐっと握りしめる。





「待って!」


思わず、大きな声を上げる。電話の向こうの俊貴が、私の言葉に従い、次を待っているのが分かる。

強く、手を握りしめた。





「……隼斗の家の住所、教えて」


小さく、だけどしっかりと言って、私は真っ直ぐに前を見据えた。












コンクリートの階段を、一歩一歩しっかりと踏みしめて登っていく。


大都会にある茨崎女子大よりも、幾らか田舎に位置している三國大の周辺のこのアパートには、
エレベータというものがないらしい。



走り書きしたメモの部屋番号を見る。隼斗の部屋は、奥から二番目にあるらしかった。
ゆっくりと一度深呼吸をして、歩みを進める。





無意味なことと、分かっていた。俊貴が訪ねて行って出なかったのに、私相手に出るわけがないのだ。
例えその部屋の中にいたとしたって、私の顔なんて見たくないはず。

分かってはいても、動かずにはいられなかった。



ゆっくりと、震えた指でインターフォンを押す。小さくくぐもったチャイム音が聞こえた。
何の気配もなかった。



インターフォンに添えたままだった手を、宙でぐっと握りしめる。もう一度指を出し、強くボタンを押した。
もう一度、くぐもった音が繰り返される。しん、と辺りが静まり返る。やはり何の気配もしなかった。


長く息を吐き出し、身を翻す。不意に、目の奥が熱くなった。












三國大の横を通り、駅へと向かう。人通りは明らかに多くなっていた。
不意に人混みで立ち止まり、駅の目の前に位置する大学を振り返る。


隼斗が三年間、通った学校。私には全く無縁だった生活が、そこにはあった。





私たちはただ昔、ほんの一時周囲に打ち明けないまま付き合っていて、摩擦があったから別れた。
そしてお互い別々の生活を送り、別々の大学に入って、全く違う道を歩き始めた。


そしてその後、偶然再会してしまった。だけど結局上手くいかなかった、と。ただそれだけのことだ。




終わりは、もうあの日の隼斗の背中が告げていた。


きっともう、二度と会うことはない。もしも偶然街で会ったとしても、声をかけることだって出来ない。

それだけ私は、彼を傷つけた。私だって、笑い流せないほど辛い思いをしてきた。





こういう運命だったんだ。引き裂かれる運命。それに抵抗したって何の意味もない。
ただ他の人だって何度も繰り返す出会いや別れが、私たちにも訪れただけ。分かっているのに。







小さく、すれ違った女の人の肩がぶつかる。ぐらり、と大きく視界が歪んだ。
どこかに吸い込まれるように、力が抜けていく。世界が、消える。



どこか遠くで、亜季の声が聞こえた気がした。








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