言葉にできない
     I love you
17


激しい何かの音を感じて、眉間に皺を寄せて目を薄らと開く。


締め切ったカーテンの僅かな隙間から入り込んできた光に、眉を寄せつつ身体を起こす。
頭痛が襲って、右手で顔の半分を覆った。


ベッドから抜け出て、鳴り続ける音の元へと向かう。
欠伸を噛み殺しつつ、携帯の通話ボタンを押した。





「俺」

唐突に耳に入り込んだ、その耳慣れた低音に目を見張る。眠気も頭痛も、全てが吹き飛んだ。



「え……?」

思わず、小さく尋ねる。



「あ、悪い。ついいつもの癖で……。冬矢だけど」


焦った声で言った相手に、驚きつつも苦笑する。
俺、とその耳慣れたただ一言で、一瞬心があの頃に戻りそうになっていた。



「うん」


小さく頷いて、返す。ふと、枕元に置いたままの目覚まし時計を見た。もう、十一時を回っている。
この時間に電話をくれるということは、今日は土曜日なのだろうか。







「美里ちゃんから聞いた。学校ずっと休んでるって」


心配そうに、優しく言った冬矢に、私は下唇を噛み締める。
心配した美里が、どうなっているのかと冬矢に尋ねたのだろう。

未だに恋人だと思い込んでいるのだから、当たり前の行動だ。冬矢は、きっと怪訝に思ったはず。




あれからもう、一週間近く経つ。その間私は、買い物に行くことすらできなかった。





「大丈夫か?」


昔と何も変わりない口調に、視界が僅かに歪む。


あんなことがあった後でも、冬矢は何一つ変わらない。いつも私を思って、大切に扱ってくれる。
この優しさに、こんな私が甘えるわけにはいかないんだ。



「ちょっと、体調悪いだけだから」


無意味なことと知っていても、作り物の笑顔を浮かべて答える。





「……あいつと、何かあった?」

「え……?」


遠慮がちに、心底心配そうに言った冬矢に私の心臓が飛び跳ねる。



振り上げられた手、悲しそうに細められた隼斗の目、私を睨みつける亜季の顔、
辿っていく記憶が光る刃物に辿りついたところで、私はそっと瞳を閉じる。





「お前昔から、何かあると必ずそう言うんだよ」


優しく若干の笑いも含んだ柔らかい声で言った冬矢に、目を見開く。


私は確かに、何度かこの嘘を冬矢に使った。前に使ったのは、隼斗と再会した次の日。
冬矢は、あの時も本当は私の嘘に気付いてたってこと?


それを知っていて……。強く、下唇を噛み締める。





「大丈夫。明日から、ちゃんと学校も行くから」


思い切り笑顔を作って、明るく言い切る。


私は冬矢とは違う道を選んだ。確実に幸せを掴める道でも何でもなく、隼斗ただ一人を選んだんだ。
ここで彼に頼ったら、また同じことの繰り返しになる。





「分かった。無理はすんなよ」


全てを理解したように、優しい、だけど芯のある声で言った冬矢に、弱く笑みを浮かべる。



「うん、分かった」

切ない気持ちを、今すぐにでも冬矢に縋りたい気持ちを抑えて、しっかりと頷く。





「じゃあな」


一瞬の間を置いて、静かに、それでも優しく冬矢が言う。静かに、瞳を閉じた。


もう、これっきりだ。きっと、これが本当の最後。





「ばいばい」


静かに、だけど明るく言った私は、震える指先で通話終了のボタンを押す。
静かに、胸の中で何かが壊れた。



ここまで来たって、私は何一つ守ることができない。
大切なものを、失っていくことしかできないんだ。












通り過ぎていく人が、全てあの少女の顔と重なる。目を閉じて、その思考の全てを振り切る。
瞳を静かに開き、肩にかけた鞄の紐を握りしめた。





「怜っ!」


奥の方にあるいつもの席に座っていた千佳が私を呼んで立ち上がる。
少々急ぎ足に、そこへと向かった。相変わらず、学食は落ち着いている、とは言っても人が多かった。



「大丈夫?」


千佳と一緒に立ち上がった美里も、眉を寄せて心配そうに私を見る。弱く笑みを浮かべて小さく頷いた。
心配そうに私を見上げる花純の横に、私も腰を下ろす。





「冬矢さんと、別れちゃったんだ?」

千佳が、まるで自分が振られたかのように悲しそうな表情で、遠慮がちに切り出す。黙って頷いた。



「冬矢さんから聞いて、びっくりした……」

眉を寄せた千佳は、その輝く目を曇らせて俯く。





「ごめん、何も気づいてあげられなくて」


美里が、ため息交じりに私を見つめる。

仕方がないことなのに。私は誰にも、隼斗との過去も、冬矢とのことも話していなかったのだから。







「何か、あったんでしょ?」


静かに言った美里が、真っ直ぐに私に見つめる。


伝えたいことは山ほどあるのに、言葉が詰まって何一つ出てこなくて。
言葉の代わりに、涙が一粒零れ落ちる。





「ちょ、怜っ?」


焦って私の顔を覗き込む人の顔は、もう誰なのかも分からなかった。





冬矢も隼斗も亜季も、誰も悪くなんてない。
ただ私が、みんなを深く傷つけてしまった。だから全部、なくなってしまった。

全部、自業自得なのに。


なのになんで、こんなに苦しいんだろう。なんで明るく笑ってやり過ごせないんだろう。








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