ずっと隣で
07


棚からドライヤーを引きずり出し、自室のカーペットの上に座り込んでコンセントにつなぐ。
深くため息をつきながら、テーブルの上の携帯に目を移した。



その瞬間、携帯が新着メールを告げる光を出しているのに気付き、どくり、と心臓が跳ね上がった。
ドライヤーを置いて携帯を手に取り、急いでメールを開く。目を丸くした。






「ずっと連絡できなくてごめん。しばらく会えないと思う」


圭からの、絵文字のない淡々としたメールの文面を、何度も何度も読み返す。
でも何度繰り返し読んでも、変わらない。このメールは、やっぱりどこか変だ。





三日間、メールも電話も何もなかった。

だけど圭は忙しいのだろうと心の中で納得して、落ち着いて待つことを決めた。
今まで何かあるごとにそうしてきたように、自分の生活を守ってきた。


三日間連絡ができなかったことへの謝罪は、メールで済ませないのが圭だ。

電話をしてほしかったとか、何でメールなの、とか、そういうことではない。
このメールが、まるで圭からのものではないような気がしてしまうほど、違和感を感じるのだ。



圭に……何かあった? 思考が闇へと引きずり込まれそうになり、思わず身震いする。




急いで着信履歴から圭の名前を出して、通話ボタンを押そうとする。
きゅっと眉を寄せ、その指の動きを押し止めた。




電話をして、私は何と言うのだろう?

何かあったか、と聞くのだろうか。何で? と尋ね返されて、私は何と答える?
メールが変だから? 電話じゃなかったから? 私は、そんなことにこだわりたいんじゃない。


第一、圭に何かあったとして、それは私がどうこうできる問題じゃないかもしれない。
少なくとも圭は、自分からそれを私に話そうとしていない。

だとしたら、私が詮索するのはただの余計なおせっかいになるだけかもしれない。




メールボックスに戻り、分かった、とただそれだけを打って送信する。






私と圭の住む世界は違う。
そんなこと、普段は何も気にしないし、違うからといって何ってわけでもないと思ってる。


でも、どうしても踏み込めない場所が生じてしまうのだ。
私が触れてはいけないものを、圭は持っている。


それを味わわされる時が、必ずある。



不意に悲しみがこみ上げてきそうになって、ぐっとそれを押さえつけるように、下唇を噛み締めた。












「ぐっもーにんっ!」


突然、後ろからぎゅっと抱きつかれ、心臓が止まりそうな程に驚く。



「ちょっと真菜、驚かせないでよー」


なおも私に強く抱きつき、すりすりと心地よさそうに頬を寄せる真菜に、
唇を尖らせつつも苦笑した。



「おはよ」


後ろから微笑みながら顔を覗かせた彰人に、おはよ、と笑って返す。




「どうよ、圭から連絡来た?」


気遣わしそうに眉を上げて、優しく覗き込むように私を見て言った彰人に、力ない笑顔を返す。


彰人は、騒がしい真菜に付き合ってるだけあって、基本落ち着いた穏やかな性格だ。

元々は、私の中学時代からの友人だった。
その分圭とのことも、いつもとても気にかけてくれて。




「昨日メール来た。また忙しくなるみたい」


笑い交じりのため息をつきながら、圭の顔を思い浮かべる。




忙しいのは、嬉しいことでもある。人気があるからこそものにできる仕事だし、
その仕事を圭が楽しんでこなせるなら、それは私にとってだって嬉しい。



だけど圭はいつも、自分の楽しい気持ちや、辛いことの先に待ち構えている幸せに向かって
頑張る気持ちを優先して、自分の身体が出すサインを無視して無理しすぎてしまう。

だから、心配でたまらない。



自分の知らないところで、自分の見えないところで、圭が無理してるんじゃないかって考えると、
辛くて辛くてたまらない。





「大丈夫だよ。強いから、圭は」


私の表情が暗くなったのを見て、彰人は優しく微笑み、力強く言った。



「分かってる」

そう笑って返す。




分かってる。圭は強い。
どんな壁も、自分で乗り越えていく力がある。強風に立ち向かっていく根性を持っている。


だから誰よりも強くて、輝いている。




だけど、私は知ってる。そんな圭が、いつも笑っている圭が、本当はとても弱くて脆いこと。
いつも自分の体力の限界や、心の奥底の不安と闘っていること。



そんな圭を、私はただ見守り、信じて、待つことしかできない。
どんなに願ったって、それ以上のことは決してできない。



いつだって……。












「莉子ー、帰ろー」


いつも通り、真菜と彰人が私のところに集まってくる。
じゃあねーと、後ろからクラスメイトの声が聞こえて、振り返って笑顔を浮かべ、手を振る。




「何か鳴ってる」


顔を二人に戻した瞬間、彰人が小さく呟き、
私はようやく自分の携帯がポケットの中で振動していることに気付いた。


彰人の耳は異様なほどに良い。
その聴力の良さにいつもながら感動しながら携帯を引っ張り出し、開く。


その瞬間、息を呑んで目を見張った。黒崎さんからだ。





「もしもし」

胸騒ぎを抑えつつ、いつも通りの声で電話に出た。



「黒崎ですが」

いつも通りの応答に、じれったさまでもが湧いてくる。



「どうしました?」

目の前で、不安そうに私を見つめる二人を見ながら、尋ねる。





「いや、圭の様子はどうかと思って」




「……え?」



思わず耳を疑う。
圭は今、黒崎さんと共にいて、それを聞きたいのは本来こっちのはずで……。





「圭、通院で仕事全部キャンセルしてほしいって言ってから全然連絡よこさないし、
携帯も繋がらないから、何かあったのかと思ったんだけど」


いつも通りの声色で淡々と言った黒崎さんに、目を見張る。





言っていることの意味が、何一つとして理解できない。


仕事をキャンセル……? 通院……? 
頭の中で、何度も言葉を繰り返すのに、何もかもしみ込まずに通り抜けてしまう。




「……莉子?」

何も言葉を返さない事を訝しく思ったのか、黒崎さんは探るように呼び掛ける。




「……どういう、ことですか……?」


眉間に力を込め、今にもぷつりと途切れてしまいそうな意識を必死で繋ぎ止めながら、
震える声で尋ねる。



「……聞いてない?」

怪訝そうな、だけど落ち着いた黒崎さんの声を聞きながら、胸が息苦しくなっていくのを感じる。



「何も……」

口にしたくない言葉を、絞り出す。胸が切り刻まれたように痛んだ。




「四日前の朝方くらいにあいつから電話があって、体調悪いから病院行ってくるって言うから、
付き添うって言ったら、あいつ莉子に一緒に行ってもらうって……。圭から連絡は?」


すらすらと事情を言っていた黒崎さんは、途中で考え込むように言葉を詰まらせ、
その後いつもよりも強い口調で尋ねる。




「……昨日、メールが……。でも、しばらく会えない、とだけしか……」

弱弱しくしか返せない自分を心の中で叱責する。




ここのところ、嫌な予感が心の中を渦巻いてばかりで、
圭から連絡がないことも、いつも以上に心配になって、色々なことに敏感になってた。

だけどその嫌な予感が、今はっきりと形を現そうとしている。



でもそんな時、私が弱気になってちゃ、何も意味がない。




「私、圭の家に行ってみます」

胸の痛みを堪えながらも、しっかりと言う。



「……とりあえず頼む。そしたら、また連絡して」


心配げながらも、落ち着いた声で言った黒崎さんに、はい、と返し電話を切る。
閉じた携帯を、ぎゅっと握りしめた。




「何だって?」


心配そうに私を見つめた真菜と彰人を、真っ直ぐに見つめ返す。
心を落ち着けるように、深呼吸を一度する。



「今から圭の家行ってくる」


しっかりと強い声で言った私は、じゃあね、と言って教室を飛び出した。





走ることで、心に風を送り込めるような気がして。
それで、胸に漂う黒い霧を振り払えるような気がして。私はただひたすら走った。



脳裏にはっきりと、圭の笑顔を思い浮かべ、下唇を噛み締めながら。






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