ずっと隣で
06


「莉子ーっ!」


朝の通学路、突然背後から絶叫のような声が聞こえて。
ぎょっとして振り返ろうとした瞬間、後ろから弾みを付けて体当たりされる。

思わず前につんのめった私に、笑い声を浴びせる女。体勢を立て直して、そいつをキッと睨みつける。




「おはよっ」


満面の笑みを浮かべた真菜が、音符を飛ばすように言う。

その真菜の黒いセーターの向こうに、目を逸らしながら引きつった笑みを苦し紛れに浮かべた
彰人の姿があった。




「おはよ」

ため息をつきながらも返す。

今日がびっくりするほどテンションが高いわけじゃなくて、彼女はこうじゃないと彼女じゃない。
毎朝の習慣のようなものだ。




一昨日、圭は深夜まで仕事で。

昨日、私に何も言わずに学校を休んだのは珍しかったけど、きっと相当疲れてたからだと思う。
まだ病み上がりだったし。



昨日朝起きたら、前日の深夜三時にメールが来ていた。
「今終わった。おやすみ」ただそれだけのメールだけど。


それでも、お互いが今までずっと一緒に過ごしてきて、すれ違ったり寂しい想いしたり、
たくさんの想いを乗り越えてきた末に、どうしたらお互いがもっと良い関係を保てるのか、
どうしたら寂しい想いをさせなくて済むのか、そんなことを考えた圭の結論。


それがこんなちっちゃいことか、って言われればそれまでだけど、どんなに時差があっても、
少しでも自分を想ってくれていた時間の証があれば、それだけで私は幸せになれる。





「今日、圭来んの?」


彰人が、私の隣に並んで尋ねる。んー、と一瞬返事に困って苦笑する。



「来ると思うよ」


目を細めてあくまで明るく言った私に、真菜がえっ、と声を上げた。




「知らないの? 珍しー」


目を丸くして言った真菜に、私は更に苦笑した。


連絡一本足りなかったくらいで、拗ねたり落ち込んだりする私ではないけど、
自分が仕事をしてることで私に辛い思いを少しでもさせないように、という圭の心遣いで、
学校の出欠のメールは絶対に欠かさない。それが圭のモットーだ。

二日続けて出欠のメールがないのは珍しい。


だけど仕方ないことだ。ここで余計なことを考えてたって、何も始まらない。












「席つけー」


気だるそうな声が響いて、私の前にあったスカート達は揺れて消えていく。
みんなが自分の席へと戻っていこうとしている教室内を、改めて見回す。圭の姿は、どこにもなかった。




「号令っ」


五十近いだろう歳の担任の声で、みんな一斉に激しい音を立てて立ち上がる。
お辞儀に朝の挨拶を付け足し、またわざとらしいほど大きな音を立てて座る。その音に、雑談が重なった。



「ねー、今日ニタのヅラいつもと違くね?」


くだらない話が大好物の綾乃の言葉に、確かにーと大して思ってもいないことを笑って返す。


ニタは我らが担任新田の通称。弱っちくて頼りなくて、だけど良い奴のニタは、
色々言われるけど何だかんだ信頼されてるし好かれてる。




「おーい、静かにしろー」


少し枯れた声に、みんな緩い空気を残しながらも個々の会話を中断する。





「今日も緒方は休みだ。またしばらく来られないらしいが、よろしく頼むぞ」


さも当然のことを述べるかのように言ったニタに、私は目を見開く。
次の連絡事項は次々と流れていくのに、私の時は止まってしまった。



色んな考えが、一気に頭の中を駆け巡って。きつく、下唇を噛み締めて俯いた。

圭を疑うことなんて、できない。したくない……。












「莉ー子っ」


私の机の目の前で、グレーの大きめのチェックが揺れた。顔を上げて、真菜の顔を見上げる。



「圭、また仕事忙しくなるんだ?」


私の目の前の席の椅子を勝手に出して座って、私に尋ねる。
真菜の横に、彰人も寄り添うように立った。



「……うん、そうみたい」


若干言い淀んで苦し紛れに言った私に、真菜は意外そうに目を丸くする。
彰人も、私を窺うように見た。



「何? 莉子らしくないじゃん」


核心を突いてきた真菜の言葉に、私は少し眉を寄せて俯く。

これからどんな仕事が待っているのか、いつも大まかには圭や黒崎さんから聞くし、
大きな仕事が入ったときには必ず圭に興奮気味に報告される。だけど……。




「……私、仕事だなんて聞いてない」

絞り出すように口にした私に、真菜と彰人は同時に目を見開く。




「圭、言ったんだよ。これから少し暇になるって。だからずっと一緒にいられるって、そう言ったのに……」


眉を寄せて、俯く。



ずっと一緒にいられるって、そう言った圭の純粋に喜んだ表情に、嘘なんてなかった。

だけど、おかしい。


突然、私との約束を破らなければならないような仕事が入った時には、
圭は必ずどんな時間にでもメールを一通、それも出来ない時にはワン切りくらいはしてくれる。




「とりあえず、連絡してみたら? 着信履歴あったら圭も慌てて掛け直してくるかもよ?」


心配そうに眉を上げて言った真菜に、彰人もそうだよ、と同調して言う。
胸に痛みを感じながらも、小さく頷く。



「ちょっと、掛けてみる」


そう言って立ちあがった私に、二人は弱弱しいながらにも笑顔を返してくれた。

教室を出て、人通りの少ない廊下で圭に繋ぐ。




「こちらは留守番電話サービスです」


繋がったと思って携帯を握り直した瞬間、機械的な女の人の声が流れ、
ひやりとしたものが胸を通った。

仕事が忙しいなら、って、コールを幾らでも待つ覚悟はしていたのに、それすら許されなくて。



コールがなかったということは、圏外のところにいるのか、そうでなければ電源が切られているか。
勝手に引きずり込まれそうになった思考を、慌てて繋ぎ止める。





圭と付き合い始めて一年近く経った頃、今みたいに連絡が取れなかったことがあって。
その時、黒崎さんと約束した。

圭からの連絡が途絶えたとしても、心配したり不安になったりせず圭を信じて黙って待っていること。
それは私のためでもあって、何より圭のためになるから。


私は、落ち着いて待っていなければいけない。それが、"緒方圭"と付き合うということだから。
"緒方圭"を支えるために、私が唯一できることだから。






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