言葉にできない
     I love you
02


鏡の前で、美里は瞬きをする。それを横目で見ている私も、そのガラスに映された。





「珍しいじゃん、怜が合コン来るなんてさ」


マスカラをポーチにしまい、それを少し乱暴な手付きで鞄に押し戻した美里は、小さくからかうように笑う。



「だよねー、本当珍しい」


白々しく言った千佳の顔を、睨みつける。
してやったり、と生意気げな顔を作った千佳に、苦笑する。

結局のところ、乗せられたのは私だ。





「何? 冬矢さんと別れちゃった?」


高校は違うものの、中学、大学と一緒である美里は、私の男付き合いの下手さを知っている。
こんなに長く続いたのは、冬矢が初めてだ。



「そんなわけないでしょ。今日はただの人数合わせ」


化粧室に、冷めた私の声が響く。
腕の時計を見ようと左手を上げた瞬間、そこに顔が突き出される。



「そのわりには、気合入ってるじゃん。そのグロス、新しい色でしょ」


シャネルのクリスタルグロス。つい先日、気に入った色を見つけて自分で買ったものだ。



「よく気付いたね」


美里がバッグを持ったのを合図に、私は化粧室の扉を押し開けた。


店内に入ってから、化粧を直したい、と千佳が言って、席にも向かわずここに入った。
正直みんなで揃って化粧をする、というのは私の好みに沿わない。



「でもその色良いと思うよ」


千佳が私の口元を歩きながら覗き込む。当たり前だ。私が気にいった色なんだから。






ふと、前に目を向ける。
二人ほど、同じくらいの歳に見える男が歩いてくるのが、シルエットだけで見えた。
かつり、とパンプスを鳴らして、距離を縮めていく。



通り過ぎようとした瞬間、私は目を見張った。
暗い店内の中でも、はっきりと見えたあの顔。


まさか……。



血流が一気に早くなるのを感じた。顔が引火したように熱くなり、
じんわりと額に汗をかき始める。





「どうかした?」



奥側にいた男が、振り返ったような気がした。
だけど私は振り返ることはできなかった。間違いだと思いたい。

この気持ちに、確信を持ちたくなかった。



「ううん、何でもない」


ぎこちない笑みを浮かべて、答える。
大して気にする風もなく、千佳は一番奥の角を曲がって、部屋に吸い込まれていった。




一度、横目でちらりと来た廊下を振り返る。

そこにはもう誰の影もなく、ただ店内の空調の、微かな風が吹いていた。












「遅れてごめんねー」


いつもより高めの音で可愛らしく言った千佳は、どんどん奥の方の席に座っていく。



「おお、来た来た」


茶髪にピアスをした男が、顔を上げて好意的な笑みを浮かべる。
これが、千佳が友人だと言っていた今回の合コンのセッティング者だろう。



「あれ、なんか少なくない?」


美里が、ふと気付いて尋ねる。
手前側に座った私の向かいには、誰も座っていない二つの椅子が置いてある。



「ああ、今二人トイレ行ってんの。すぐ帰って来ると思うよ」


どくり、と心臓が波打つ。暗がりの中で一瞬見た、あの顔が蘇りそうになって、
私は強く膝の上の拳を握り締めた。





「何頼むー?」


美里が、私と自分の間にメニューを広げる。



「ウーロンでいいよ」


特に何かを考えることもできなくて、軽く答える。
美里はもうメニューを決めたのか、それはぱたり、とすぐに閉じられた。


丁度良いタイミングで部屋に入ってきた店員に、
千佳は四種類のドリンクを注文していく。





店員が部屋を出る。それを目で追った瞬間、
私は口を微かに開いたまま、呼吸を完全に止めた。

私を視界に捉えた男も、目を見開いて固まる。





「んじゃ、まずは自己紹介と行きますかっ」


中心的存在である男の声に、私と男は勢いよく息を吸い、
止めていた時間を無理やり元に戻そうとする。




見間違い、なんかじゃなかった。
そっくりな赤の他人だったなら、どんなに良かったことだろう。





「まず、俺は達也。今日の合コンの幹事」


予想通り、さっきの茶髪の彼が千佳のバイトの友だちだ。



向かいに座る、男に目を向ける。
前髪、かなり伸びたな、なんて些細なことを考えた。

最初は取り乱したけど、涙が出てこなかっただけましだ。
それに今、私はちゃんとこいつを直視できてる。



「俺は、直人」

一番奥に座っていた彼が、声を上げる。


「俺は俊貴でーすっ」

さっき男と一緒に部屋に戻ってきた、もう一人の茶髪の男が言う。



「隼斗っす」


男は私の方に顔を向けないまま、小さく呟くように言う。


この四年間、その名前を聞く度に、それだけで呼吸ができなくなるほど苦しくなって。
それを今、本人の口から聞いているだなんて……。





「じゃあ次、女の子よろしく」


達也はそう言って、奥に座った千佳のほうを指す。



「千佳でーす」

可愛らしく、首を傾げた千佳に、美里が苦笑した。さすが、遊び慣れた女だ。


「由美です」

美里の友人の由美ちゃんが、控え目に言う。


「私は美里でーす。よろしくね」

千佳より派手にやってやろう、とでも思ったのか、美里は必殺の笑顔を作る。



「怜です」


みんなの自己紹介を見ながら、少しだけ心を落ち着けた私は、
しっかりと自分の名前を言う。

隼斗が、切なそうに目を細めて私を見たのが分かったけど、
彼の方に顔を向けることは到底できなかった。







もう、四年も前のことだ。今まで何度も心に言い聞かせてきた。
冬矢と一緒の時にも、どんな時にも蘇ってくるあの記憶。




気付いてはいた。隼斗と再会したその瞬間から。
だけど信じたくなんてなかった。

あの悪夢の日々が、蘇ろうとしているだなんて。






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