言葉にできない
     I love you
03


「怜ちゃん、本当可愛いよね」


突然肩に凭れかかってきた男に、私は身を固くする。

俊貴だ。さっきの席替えでちゃっかり隣に座られてから、
何となく不信感はあったけど、やっぱり。男なんて下心のある奴ばかりだ。

ほんのりアルコールの匂いがして、眉間に皺を寄せる。



「俺、超好みなんだけど」


あっさりと定番の口説き文句を口にした男を強引に押しのけようとした瞬間、
ふと肩が軽くなり、驚いて顔を上げる。息をつめ、無言でその顔を見つめた。



「やめろよ、俊貴」


俊貴を反対側から引っ張った隼斗は、その場に腰を下ろす。



「何だよ、いいだろー」


やっぱり酔っ払いか、とため息をついて、私は俊貴が隼斗の方に
意識を向けているうちに、その場をそっと立った。

それは、酔っ払いの相手をするのが嫌だったからなのか、
単にあいつから逃げたかっただけなのか、分からなかったけど。












鏡の中の自分を見つめる。酷く引き攣った表情だった。
何でこんなところに来てしまったんだろう、と今更すぎる後悔が脳裏にくっきりと浮かび上がる。



偶然には出来すぎてるほどだ。
よりによって、久しぶりに顔を出した合コンの席で、あいつに会うなんて……。





ため息をつきつつ、扉を押し開ける。


顔を上げようとした瞬間、視界の端に男物の靴先が見え、
私はぱっと勢いよく顔を上げた。

腕を組んで壁に凭れかかったその男に、言葉を全て飲み込む。




「久しぶり」


薄暗い空間に響く声に、ぎゅっと気道が狭くなる。



「うん」


目も合わせず小さく呟いて、頷くことを言い訳に俯く。
見下ろしたその黒い床さえも、私を拒絶しているように思えた。



「元気だったか?」


本当に何もなかったかのように言った隼斗に、
私は下唇を噛みつつも小さく首を下に動かす。



「そっちは?」


ちらり、と垂れた前髪の隙間から隼斗を見ると、彼は優しく目を細めた。
この表情は、今でも変わらないんだなと知る。昔からこの顔が好きだった。



「元気だよ」


何も返さなかった。だけどきっと隼斗には見抜かれてる。

私が今、どれだけほっとしたか。あの日のことを、どれだけ後悔してるか。





「彼氏……いるんだ?」


搾り出すように、切なそうに尋ねた隼斗に、眉を寄せる。
指輪を付けてるわけでもないし、ましてや隼斗にそんなことを話した覚えもない。



「美里ちゃんから聞いた」


隼斗の言葉に、ようやく納得して小さく頷く。

さっき、美里は隼斗にべったりくっついてた。
その時きっと、お喋りな美里がつい話してしまったんだろう。





「そっちは? 彼女いるの?」


出来るだけ、話の流れに任せた風にさり気なく尋ねる。
しっかりと、余所行きの笑みを添えて。



「俺はいないよ」


あっさりと答えを出した隼斗に、目を逸らしたまま、そっか、と答える。
隼斗の言葉や、表情の一つ一つが、あの日を匂わせた。





「今、幸せ?」


唐突な問いに、眉を顰める。
だけどすぐ後に、その言葉の意味に気付いた。

分かってる。簡単に答えを導き出せばいい。冬矢と過ごした時だけを思い浮かべて、
笑顔でイエスと答えればいいだけ。



「幸せだよ」


顔を上げて、隼斗の顔を見た。
その顔はさっきの声色と同じ、切なさを帯びていた。




「じゃあなんで、そんな顔すんの?」


すべて分かったように言った隼斗に、私はぱっと顔を逸らす。




「……なんで、俺の目見ねえの?」


やめて、と心の中で叫ぶ。言い返せることなんて、何もなかった。

身体を横に向け、廊下を歩き始めようとする。
瞬間、腕に鈍い痛みが奔った。強く掴まれた先を、見上げる。



熱く潤んだ、少し赤くも見える目。
それが射抜くように強く、真っ直ぐに私を捉えていた。





「怜……」


心臓が、飛び跳ねた。私の大好きな声。
何度でも聞きたいと、手に入れたいと願った声。




唐突に、電子音が沈黙を引き裂く。
薄暗いそこに響いたのは、聞き覚えのない音。



一瞬私の腕を掴むその手が緩んだのを良いことに、
私は素早くそこから自分の腕を無理やり引き剥がし、
奥の部屋へと振り返らずに小走りに向かった。












「あれ、隼斗と会わなかった?」


少し酔いが冷めたのか、とろんとした表情だった俊貴は、
最初に顔を合わせた時と同じ表情で私に尋ねる。



「んー、なんか電話してから来るって」


適当に言って笑った私に、そっか、と俊貴は頷く。
少し距離をもって、その隣に腰掛けた。



達也と千佳は相変わらず二人で話をしたままだし、
美里たちもよろしくやっている雰囲気。急に心細くなってきた。

これで隼斗が帰ってきたら、私には合わせる顔なんてない。





「あいつ、気をつけた方がいいよ」


急に顔を寄せて小声で言った俊貴に、私は眉を顰める。
あいつ、とは隼斗のことだろう。



「超女好きなんだ。遊びまくり」


警告するように言った俊貴は、どこか私をからかっているようにも見える。

だって、隼斗が遊び人なはずがない。一途で、誰よりも熱くて純粋で。
女好きだなんて、人違いだ。



「それにあいつ、彼女持ちだし」


鼓動が、大きく波打った。彼女持ち……? 

さっきの会話が、鮮明に脳裏に浮かぶ。




『俺はいないよ』

そう、確かに隼斗は言ったのに。



思わず振り返った入り口に、隼斗が現れた。……なんで?
ぐるぐると、同じ質問ばかりが駆け巡る。何一つ、言葉には出せないまま。


隼斗が、部屋を一周見回して、私の姿を捉えた瞬間、こっちに歩いてくる。
私はぱっと視線を逸らし、バッグを手に立ち上がった。



「ごめん、体調悪いから帰るね」


顔を俊貴に向け、呟く。面食らったような表情で、俊貴は私の方に顔を上げた。
否定の言葉全てから逃げるように、私は足早に部屋を出る。





店内が暗くて良かった。心底そう思った。

もし今の私が光になんて照らされていたら、余計惨めになるだけだから。






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