言葉にできない
     I love you
06


「怜、見ろよ」


小さな円形のボックスの中から見える満天の夜景に、
隼斗は興奮気味に私に訴えかけた。
その四年前とまるっきり変わらない、無邪気すぎる笑みを見つめる。



「……どした?」


見つめている事に気付いたのか、隼斗は私にちゃんと向き直って、
心配そうに尋ねる。





「ねぇ、怒ってないの?」


今日一日、いや昨日の再会の瞬間からずっと頭にあった問い。

どう考えたって、あの日隼斗は私を恨んだはずだ。
そして今でも、私たちは笑って冗談を言い合えるような関係じゃない。



「ん? 何が?」


けろっとした表情で聞き返した隼斗に、やっぱり私は眉を顰めた。
こんなの、おかしい。私は、隼斗に笑みを向けられていいような存在じゃない。





「あの日、私が急に……別れようって言ったこと」


言葉を、わざと濁した。もう一度口にすることなんてできなかった。
ずっと他に好きな人がいた、だなんて大きな嘘。

箱の中が一瞬、隼斗の乾いた笑いで満たされ、それはやがてすぐに消えた。





「確かに、あん時はぶっちゃけかなり落ち込んだ。なんで急に、って」


砕けたように言った隼斗だけど、私はその心中を知ってる。

あの時震えていた隼斗の背中を忘れた事は、この四年間、
一度だってなかったから。



「でも今は、全然怒ってない」

はっきりと断言するように言った隼斗に、私は少し俯けていた顔を上げた。





「俺、怜を信じることにしたんだ。何か俺に言えないような事情があったから、
あんな事言ったんだろうなーってさ。まぁ、これは俺の勝手な思い込みだけど」

苦笑した隼斗を、真っ直ぐに見つめる。




「一緒にいた時間は短かったけど、怜のその笑顔疑うことなんて、
俺にはできなかったから」


真っ直ぐに私を見つめ返す隼斗の、真剣さを痛いほどに帯びた瞳に、息をのむ。


その姿が少し揺らいで、一瞬にして歪んだ。
頬を、何か温かいものが伝っていく。次々と流れてくるそれに、嗚咽が止まらなくなって。



「どしたっ?」


焦ったように言った隼斗は、ぱっと私の方に身を寄せる。
その瞬間、箱が大きく横に振れた。だけどそんなことも気にせず、
隼斗は私の顔を覗きこんでくる。





そっと頬に、そのごつい大きな掌が触れる。隼斗を見る。
瞬間、私はその影に引き寄せられ、抱きすくめられていた。

目の前に、隼斗の肩があって。驚きのあまり、嗚咽は完全に止まっていた。





「泣くなって」


低く優しく言った隼斗の声が、直接身体に入り込んでくる。
その言葉に、更に涙が流れ出した。


いつだって隼斗は、私を見ていてくれたんだ。
あんなに傷つけた、あの日でさえ。





もう二度と、戻ってくる事はないと思っていたこの体温、この声、そしてこの笑顔。
切なくなるほどに強く私を射抜くように見つめる、その瞳。

何度それを想って枕を濡らしただろうか。それが今、ここにある。
私はそれを、胸が焦がれるほど近くに感じている。


だけど私の胸は、今も変わらず、痛み続けるばかりだった。












「ここでいいよ」


そこの角を曲がればマンション、というところで立ち止まり、振り返って笑みを浮かべる。



「大丈夫か?」


心配そうに言った隼斗は、私の目を覗き込む。
顔を赤く染めて、俯きがちに頷いた。





観覧車から降りるとき、私の手を取って半ば引きずるように
困ったような表情で隼斗は私を降ろしてくれた。目も顔も真っ赤に泣き腫らした私を、
係員の人も怪訝に見つめていて。相当隼斗を困らせただろう。



「ごめんね」


小さく呟いた私に、隼斗は目を細めて笑った。手が、伸びてくる。
大きな掌が、私の頭をぽんぽんっと軽く撫でた。



「気にすんな」


優しい声で言った隼斗に、遠慮がちに小さく頷く。
本当は、さっきの言葉に含められた意味に、勘付いたはずだ。





「んじゃ、またな」


明るく言った隼斗は、踵を返す。背を向け歩みを進めたまま片手を上げた隼斗に、
意味もなく手を振る。大きな背中が、街灯に照らされた。


四年前も、こんな風にいつまでもその背中、見つめてた。
いつまでも進歩のない自分を、軽く笑った。












「もー、何なの? 金曜日のっ」


頬を膨らませつつも、笑みを隠しきれていない美里に、苦笑する。
金曜日の合コンについての反省会、と称した集いは、早速月曜の昼、食堂で開かれた。



「急に二人で帰っちゃうんだもん。びっくりしちゃった」


千佳は大袈裟に眉を上げて、目を開く。確かに急な話だった。


始まって一時間経っていただろうか。まさか、お持ち帰りだなんて雰囲気でもなかった。
どちらかと言うと、私が俊貴に強制持ち帰りされてたかもしれなかったのに。



「ごめん」

小さく、悪びれもなく謝る。疚しいことは何もない。寝たわけでもないんだし。



「でも、何で? 二人とも全然喋ってなかったのに」


テーブルに両肘をついて、美里が身体を前に乗り出す。
隼斗と喋り通しだったのは美里だ。



「高校の時の同級生なの」


あっさりと言って、コップを手に取り水を口に運ぶ。そうなんだ、
と千佳は驚いたように目を見開く。



「なら最初から言えばよかったのにー」


軽く笑いながら、美里が言う。確かに最初、まるで初対面のように
自己紹介をしたんだから、おかしいに決まってる。



だけど少なくとも私は、あの時明るく同級生なんだーなんて言えるほどの
余裕は持ち合わせてなかったし、そんな風に言えるような思い出だって、全くと言っていいほどなかった。


寧ろ浮かんでくるのは、胸を締め付けるような辛い過去。


きらり、と光った刃物が脳裏を掠め、私は一瞬身震いをする。





「それにしても、惜しいことしたなー」

あーあ、と美里がため息をついた。



「連絡先、聞いたんじゃないの?」


意外、とでもいうように千佳は目を丸くする。
やり手の美里のことだ。そういうことについては周到なんだと思ってたけど。



「そうじゃなくて。気づかないの?」

唇を突き出して、美里は私を拗ねたような目で見る。





「隼斗君、絶対怜のこと好きよ」


身を乗り出して、断言するように言った美里に、私は目を丸くした。
唐突すぎる。



「まさか」


はっと鼻で笑う。目までは、笑えなかった。隼斗が私を好きなはずなんてない。
だって、彼には彼女だって……。そう、彼女がいるんだ。

勘違いなんてしちゃいけない。私はただの過去。



「だってあの怜に彼氏がいるって言った瞬間の表情。
あまりにショック受けてたから、おかしいとは思ってたんだけど、
知り合いだったっていうなら合点がいくわ」


腕を身体の前で組み、ふふん、と少し優越の目で笑った美里に、
千佳が確かに、と大きく頷いた。





そんなはずがない。だって私は、隼斗をあんなに傷つけた。
私は隼斗の中で最も憎むべき女。あの頃から、ずっと。

私は、それを望んだからあんな嘘をついた。それなのに。



どうして今更、私の心をそんなにかき乱していくの?






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