言葉にできない
     I love you
09


「じゃ、上手く行ってるんだ。冬矢さんと」


意味深に笑みを浮かべた千佳に、私は何の躊躇いもなく頷いた。

毎日の電話は欠かさないし、寝過ごした時には冬矢の方からも
かけてくれるようになった。



「何なの、急に」


拗ねた口調で言って、水を口に運ぶ。


唐突に最近冬矢と会ったかどうか、とか色々と尋ねられて。

お互いが学生だった頃は本当に色んな人から冷やかされたけど。
いわゆる安定期に入った私たちを気にかける人なんて、今更いないと思ってた。





「いや、隼斗君の方と良い関係になっちゃってるんじゃないかなーと思ってさ」


口元につけていたコップが、自分自身の手の震えにより、
凶器として私の唇にぶつかった。
あまりにも痛くて、水も飲まずにコップを離し、口元を手で押さえる。



「あー、その反応! やっぱり隼斗君と何かあったんだ?」


千佳が、宝へ辿り着くためのヒントを得たかのような得意げな表情で、私を指さす。



「怪しいと思ってたんだよねー。とてもただの知り合いには見えなかったし」


一緒にいた美里まで、私をにやけた目で覗き込んでくる。




もしあの頃、ただすれ違った人のうちの一人として、隼斗の存在を見逃していたら。
もしあの頃、私が隼斗をその他大勢の男のうちの一人だと思って見ていたら。


今頃私たちは、本当にただの知り合いでしかなかった。
この四年間、こんなに大きな傷を抱え続けることもなかった。





「でもさ、達也から聞いたけど、隼斗君かなりの女たらしらしいじゃん?」


少し身を寄せて、若干興奮を抑えた声で言った千佳に、眉を寄せる。
あの合コンで偶然居合わせた俊貴からも、そんなようなことを聞いた。



「確かに、かなり女慣れしてる感じだった」


人差し指を顎に当て、冗談や笑いを一切含まない声で、美里もそれに便乗する。

おかしい。そんなはずがない。私と初めてのキスを交わすときだって、
私の頬に触れるその手は、僅かに震えていた。その感触を今でも覚えているのに。

女慣れしてるはずなんて、ない。





「それに、彼女もいるって聞いたよ?」


千佳の言葉に、あの時の俊貴の言葉が嘘なんかではなかったことを悟る。


女好きだっていうのも、彼女持ちだっていうのも。気にはかけていたけど、
どこかで彼が私の気を引くための冗談なんだと思っていた。思いたかった。

だけど千佳や、その情報源の達也が嘘を吐く理由なんて、見つからない。





「早めに決断しといた方が、いいんじゃない?」


冷静な美里の言葉に、私は下唇を噛み締める。



後戻りが利かなくなったら、そこでおしまいだ。

冬矢か隼斗か、だなんて、本当は取捨しちゃいけないような存在。比べる以前の
問題だ。それなのに、私は冬矢を利用して、隼斗にも曖昧な態度を取ってる。


こんなのおかしいって、痛いほどによく分かってるのに。












「よっ」


コンクリートだらけの空間で、目の前で軽い笑みを浮かべた男を、
信じられない気持ちで見つめる。



「何で……」


呟いた言葉は、一週間前と変わらないもの。額に手を当てる。
とんでもない高熱が見せている幻覚、ではないようだった。



「入って」


取りあえず、後退して隼斗を中に入らせる。
さんきゅ、と笑顔で言った隼斗は、いとも簡単に私の部屋に入っていった。



あれから何度、隼斗のことで悩み頭を抱えたか分からない。
冷静に思考を動かした上で、決断した"正しい"道。

それなのに、こいつはまた私の判断を鈍らせようとしている。



「コーヒーでい?」


無理やり笑みを作って、隼斗の背中に問いかける。あぁ、と素直に頷いた隼斗は、
それ以上何も言わなかった。


台所に入り、インスタントのコーヒーを入れてリビングへと運ぶ。
ちょこん、とそこに腰を下ろした隼斗は、物珍しそうにきょろきょろとしていた。



「何?」


楽しそうに笑みを浮かべた隼斗に、眉を寄せて尋ねる。変なものは何もないはずだ。
いつ冬矢が来ることになってもいいように。



「いや、怜らしいな、と思ってさ」

「何が」


目を細めて言った隼斗に、尋ねた。



「几帳面じゃん。整ってるっつーか」


もう一度、彼はぐるりと部屋を見回す。確かに朝起きた後、シーツは必ず整えるし、
ある程度の装飾も施している。だけど几帳面と言われるほど、
特別な何かをしてるわけでもない。



「別に私、几帳面じゃないでしょ」


唇を尖らせて、言い返す。几帳面、と言われると何だか生理的に良い気持ちがしない。



「几帳面だろ。あの玉子焼きとか」


自分の最後の一言に、隼斗は肩を揺らして、堪えるようにしながら笑い始める。
無意識に、更に唇を尖らせた。



二、三回程度しかない、そんな薄れてしまいそうなほど僅かな記憶でしかないけど、
私は何度か隼斗に弁当を作って行った。行事も一緒に過ごせなかったし、
デートもろくにできなかったから、その代わりに、と。

その度隼斗は、笑いながら玉子焼きを食べていた。





「今日さ、久しぶりに怜の料理食わしてよ」


コーヒーのカップを口元に持って行きながら、隼斗は笑みを浮かべて言う。
理性が叫んだ。脳裏を、玉子焼きを食べた後の隼斗のあの満面の笑みが掠める。



「いいけど、ろくな食材ないよ?」


冷蔵庫の中を、頭の中で再現する。ここのところ外食も多かったし、
野菜類は特に少ない。あるのは卵と、冷凍しておいた米、冷凍した食パン、
後ほんの少しの野菜だけ。



「じゃ、一緒に買いに行こうぜ」


目を細めて笑った隼斗に、私は渋々頷く。



一緒に買い物に行けば、その分周りの人間に見られる可能性は高くなる。
大して遠くに行くつもりもないだろうし。
大学の近くに部屋がある分、この辺りのスーパーではよく大学の仲間とも会う。

それでも、隼斗はそれを楽しみにしていて。



この笑顔を壊すことは、もう二度とできない。そんな気がした。
あの時の隼斗がどんな風に傷ついたか、知っていたから。








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