言葉にできない
I love you
12
ベッドの縁に、乱暴に腰を下ろした。少し弾んだそれに、頭痛が余計激しくなる。
湯船で十分すぎるほどに温められた顔を、既に冷たくなった両手で覆う。
何もかも、考えたくないことばかりだった。
正体の分からない、僅かな音を耳が拾う。ダイニングに向かい、大学用のA4サイズのバッグの中から、
携帯を探り出す。手に収めたそれは、未だ激しく鳴り続けていた。
「もしもし、怜?」
相手も確認せずに取った電話。嫌というほどに、名乗らないその相手が誰なのか、
すぐに分かってしまう自分がいた。
「うん」
再度ベッドに腰をかける。冷え切った片手で、額を押さえた。
「土曜……会えないかな?」
遠慮がちな口調とは裏腹に、その言葉はまるで肯定の返事を既に知っているみたいだった。
「ごめん」
ひどく、頭の奥が痛んだ。昼間見たガラスの破片が、脳裏に浮かぶ。
「じゃあ、日曜は?」
さっきの言葉に、きっと隼斗は私の心中の全てを知ったはずだった。
それなのに、隼斗はなおも私の心を押し動かそうとする。
「どうしても、話したいことがある」
もう会えない、と切り出そうとしたタイミングを見計らったように、隼斗は強い口調で言い切った。
「ちゃんと、顔見て話したい」
静かに言った隼斗の声に、胸が悲しいほどに痛くなる。
今は、隼斗の顔なんて見たくない。問い詰めて返ってくる意味のない言い訳なんて聞きたくない。
それなのに、こんなにも会いたい。
「分かった」
震えそうになったのを何とか堪えた私は、静かな声でそう言った。
「っていうか、急にどうしたの?」
花純が、その大きな瞳を輝かせて、私を覗き込む。
「別に」
本当に、大した理由なんて存在しなかった。
ただ、気を紛らわせてなきゃ、自分の中のどこかが壊れてしまいそうだったから。
「例の……隼斗君だっけ? 最近どうなの?」
からかうような口調で言った花純は、笑顔を浮かべる。それは、どこか楽しがっているようで。
どうしても話したいことがある、と言われて、渋々約束を取り付けた。それはもう、明日に迫っている。
「何もないよ」
本当に、何もなかった。何もなかったことにさえしたいほど、この胸が痛かった。
あの頃の気持ちが、リアルに蘇ってきて。だから私は、こんなにも苦しかったから私は、
逃げてしまったんだ。いつもいつも真っ直ぐだった、隼斗の愛から。
「でも、意外だったなー」
人差し指を顎に押し当てた花純は、視線を空に巡らせる。花純を見つめて、先を促す。
「冬矢さんと別れちゃうなんてさ」
くるり、と花純は瞳を動かして私を見る。
今日、花純に問い詰められて渋々教えた事実。それを告げたのは、それが初めてで。
私だって、隼斗と再会するまでは、冬矢以外の男なんて考えられなかったし、
ちゃんと確かな未来だって見据えていた。
「あ、ねえ。あれ亜季じゃない?」
唐突に明るい声を上げた花純が見つめる先に、視線を這わす。胸が、怖いくらいに騒いだ。
大通りの向こう。車の行き交う隙間に、見慣れた横顔を見つける。
心臓が止まって、頭が真っ白になった。息さえも、できなくなって。
もう何年も見ていなかった、懐かしい亜季の、私のただ一人の妹の笑顔。
笑いかけるその姿に、隣で並んで歩く隼人が、笑顔を返した。
「怜?」
二人を見つめて固まったままだった私に、花純が目を丸くして私を振り返る。
「ごめん、私帰る」
小さく短く呟いた私は、唖然とする花純に背を向けて、勢いよく走り出した。
激しい音を立てて、重い金属の扉を閉める。そこにもたれかかったまま、私はずるずると座り込んだ。
頭の中に、はっきりと隼斗と亜季の笑顔が浮かぶ。
"あいつ、彼女持ちだし"
"俺はいないよ"
隼斗の言葉が、くっきりと脳裏に浮かんだ。あの時、隼斗は私の目を真っ直ぐに見つめて、強く言い切った。
それなのに、あの日から今日までの隼斗は、全部全部、偽りだった。ただの、作りものだった。
決壊したように、一気に涙が溢れ出してくる。
私だって、同じことをした。
隼斗と同じ、それよりももっとずっと酷いやり方で、隼人を裏切り、深く傷つけた。
こんなのただの、天罰だ。そう思って諦めれば、ただそれだけで済むことなのに。
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