言葉にできない
     I love you
15


薄い紙を捲る音と共に、固いノック音が響いた気がして。
私はファッション雑誌に這わせていた視線を、ドアに巡らせる。




「お姉ちゃん」

弾んだ声で言った亜季は、八重歯を覗かせて可愛らしく笑い、部屋に入ってくる。



「何してんの?」

床に落ちていたクッションを拾い、それを抱えて私の横に腰を下ろす。



「見れば分かるでしょっ」


笑顔を浮かべて言った私は、人差し指で亜季のまだ若干湿り気を含んだ頭を突いた。
可笑しそうにころころと笑った亜季は、次の瞬間にはモデルを指さして可愛いーなどと明るく言っていて。

若干の呆れ混じりの笑顔を浮かべて、大好きな妹のその横顔を見つめる。







「ねー、お姉ちゃん」

雑誌の薄い紙を器用に片手で捲った亜季の言葉に、軽く首を傾げる。




「大賀隼斗先輩って知ってる?」


くるり、と丸い目を私の方に向けた亜季に、私は眉を寄せて考え込む。
亜季と同じ陸上部で、私の学年の人だ。背が高くて少し細い感じのする男。確か、隣のクラスの人だ。



「んー、何となくなら分かるけど……」


言葉を濁して眉を顰めた私に、亜季は可愛らしく苦笑する。
今まで何の接点もなかったし、去年も同じクラスだったわけではない。顔は分かる、程度の人物だ。





「私ね、隼斗先輩のこと好きなんだぁー」

顔を蕩けさせて言った亜季に、私は驚きに目を丸くする。



「えっ? まじで?」

思わず上げた声は、それでも十分すぎるほどの喜びを含んでいて。



亜季は、今まであまり良い恋をして来なかった。

最初に付き合った男は女遊びが激しくて、一つ上であった私の学年の女と二股をかけていた。
次に好きになった男は、実は亜季の友達と既に付き合っていて。

その後も何度か恋をしたけれど、私はその度最後には最低とも言えるほどの結果を聞くだけだった。





「応援してくれる?」

八重歯を覗かせて、答えを既に知っている問いを口にした亜季に、満面の笑みを添えて頷いた。



「もちろん。協力するっ」

弾んだ声で言った私に、亜季はほっとしたように肩を下ろして笑った。












人はたくさんいるはずなのに、静まり返った広場。包み込むように、辺りには闇が広がっていた。





「怜っ」

「隼人……」


息を切らせ頬を上気させた隼斗が、はにかむような笑みを浮かべながら私の横に並ぶ。
大きく息を吐き出した隼斗は、私に少し強引な笑顔をもう一度見せた。



ここに集う生徒全員が空を見上げ待ち望んでいるのは、この野外教室の醍醐味、打ち上げ花火だ。
そしてこの野外教室は、私と隼斗を繋いでくれたもの。



くじ引きで外れくじを引き、かなり強引に押し付けられた実行委員と言う名の役職。
驚くほどの偶然が重なり、私と隼斗は同じ係に回された。







「見てた? 俺のバク宙」


目を輝かせて言った隼斗は、得意げに笑みを浮かべる。
否定はさせない。そんな願いも籠ったような視線だった。躊躇しつつも、小さく頷く。



「覚えてるか? あの約束」

真剣な表情になった隼斗に、私は戸惑って視線を泳がせた。吹き付けてくる少し冷たい風が頬に刺さる。





隼斗はずっとバク宙の練習をしていた。

昼休み、緊急招集がかかった時、体育館に行けば必ず彼の姿を見つけることができたし、
話し合いや仕事が終わった後、私はよく隼斗の自主練に付き合わされた。


だから私は、いつも見ていた。隼斗のその一生懸命に汗を流す姿を。

見つめれば見つめるほど、好きになって。好きになればなるほど、現実との境界線を感じて怖くなった。



この野外教室の前日、隼斗は言った。
「ステージで俺がバク宙を成功させたら、俺のことを見てほしい」と。答えることは、できなかった。







「俺、怜のことが好きだ」


真っ直ぐに見つめるその瞳は、どこか潤んでいて。吸い寄せられるように、その瞳を見つめる。
だけど私には言えるはずがなかった。隼斗のことが、好きだなんて。





「俺のそばにいてほしい」


真剣な隼斗の声に、胸の奥が熱く疼いて痛んだ。戸惑いながらも、誘われるままに小さく頷く。



突然、崩れ落ちるように隼斗がしゃがみ込んで。
頭を抱え蹲った隼斗に、私は思わずしゃがみ込み、その肩に手をかける。





「ちょっと、どうしたの?」

焦って弱弱しい声で言った私に、突然触れていた肩が震えだした。



「やべーっ」

頭を抱えたまま声を上げた隼斗に、眉を寄せる。





「俺、今すっげぇ幸せ」


顔を上げた隼斗は、弾けんばかりのどこか悪戯な笑みを浮かべる。
苦笑して、隼斗の腕を軽く叩いた。隼斗は、締まりのない溶けそうな笑顔を浮かべる。





瞬間、張り詰めていた空気を破り、爆発音が響いた。驚いて勢いよく顔を上げる。
突然入り込んできた光に、目を細めた。


瞬間、後ろから右肩を掴まれて。振り返ろうとしたその時には、もうその唇が触れていた。



僅かに、触れ合っていた唇が離れる。
驚きに目を見開いて隼斗を見ると、隼斗はカブト虫を捕まえた少年のように、目を輝かせて笑った。


その細められた瞳には、満開の花火が映り込んでいた。












公園の出口、黙って私の手を握っていた隼斗が、いつものようにそこで立ち止まった。別れの時間だ。



学校の裏門から、家から歩いて二分ほどの公園まで。
限られた距離でしか、私たちが共にいることは許されない。その理由を、隼斗は未だ知らぬままだ。





「あ、そうだ」

思い出したように言って眉を若干上げた隼斗は、
学ランのズボンの後ろポケットに手を突っ込み、弄り始める。



「これ、文化祭の時の」

ようやく一枚の紙切れを取り出しそれを差し出した隼斗は、嬉しそうに目を細めた。



「ヒロが、渡しとけって」

光沢のある写真が、太陽の光を浴びて光る。その中に写り込んだ二人の男女を見て、私は目を細めた。



「ん、ありがと」

小さく呟いた私は、若干弱弱しい笑みを浮かべる。



「んじゃあな」


片手を上げて踵を返した隼斗に、私は温かい気持ちで手を振る。
その、大きな背中が小さくなるまで、ずっとずっとそれを見つめていた。



その背中が木に隠され消えた後、私は小さくため息を吐き出して、手元の写真に視線を移す。


ウエイトレスに変装した私と、制服姿の隼斗が、遠慮がちな笑顔を湛えてそこに写っていた。





どこかに強い罪悪感があって。だから私には今まで、証拠を残すことなんてできなかった。

だけど文化祭を一緒に回ることさえ拒んでしまった私に、それでも仕方ないと笑った隼斗は、一言言った。
せめて一緒に写真を撮ろう、と。

躊躇いながらも頷いた私に、隼斗は目を細めてほっとしたように笑みを浮かべた。







隼斗はいつだって、私が何をどんな風に拒んだって、何も言わずに許してくれる。
理由も尋ねず、一緒にいられればそれでいいから、と小さく笑ってくれる。





だけど、分かってるんだ。


私だってそう思うように、隼斗だって普通のカップルらしく堂々と写真もプリクラも撮りたいし、
お昼だって一緒に食べたいって思ってるんだって。

当たり前のようにそばにいられたらどんなにいいか。そう、思ってるんだって。





だけど私は、怖がりで、欲張りだから。もう一つの大事な存在を、失くしたくないと怯えてる。


いつだって隼斗を苦しめているのは私だって、ちゃんと気づいていたのに。








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