俺と彼女と…
06


「いやー、でもマジで付き合っちまうとはなぁ」


悔しそうに言った武人は、首の後ろに手を当てて目を細める。
先日うんざり発言をして以来、珍しく武人は手が空いている状態だ。



「しかもあの菜月ちゃんだぜ? 信じらんねえよ」

からかうように笑った武人に、俺も苦笑を返す。


彼女のことを、ずっと見てきた。
だからこそ、彼女が当たり前のように隣にいる生活なんて、俺にだって信じられない。





「なんか怖えのいるなぁ」


突然眉間に皺を寄せて前方を見た武人に、俺もそこへ視線を巡らせる。
異様に長身の男が、門の近くで周りをきょろきょろと見回しているのが見えた。

かなり明るい茶髪で整った顔立ちの男に、近くを通っていく女達がいちいち振り返っていった。





「龍っ!」


突然耳慣れた高いはしゃいだ声が、俺たちの背中を追い越す。
勢いよく顔を上げた男は、俺たちの背後に視線を彷徨わせ、瞬間破顔した。


足音が、俺たちを追い越していく。あ、と武人がかけようとした声も、虚しく宙に漂った。
赤みがかった茶髪が、頭の上で揺れて、光に飲まれていく。


隣で、武人が呆然と口を開けたのが分かった。





「龍っ」


もう一度、愛しそうに男の名を呼んだ菜月に、男は笑顔のまま両手を広げる。
その胸に飛び込んだ彼女の頭が、あっという間にその黒に吸い込まれて、見えなくなった。


強く彼女を抱きしめた男を、通りかかる人が興味深そうに首を横に回して見て行った。



目の前で熱い抱擁を交わす二人に、俺は何が起こったのか、未だ分からずにいた。












「あれから連絡ないわけ?」


明らかに不機嫌そうな武人は、細い黄色の物体を乱暴に摘み出し、口に運ぶ。
ファーストフード店は、相も変わらず騒がしかった。

小さく頷き、深くため息を吐き出す。



二日前、菜月が別の男を抱き合っているのを、大学の前で見かけて。
それ以来、彼女と毎日の習慣にしていた、ベランダでの逢瀬に顔を出すことはなくなった。



連絡なんて、怖くて取れるはずもなかった。

何が怖いかって、現実を知ることでもなく、裏切られることでもなく、捨てられることでもなく、
何より彼女の笑顔が怖かった。




「勘違いかもしれないだろ」

「お前も見たろ」


慰めのように言った武人に、すぐさま低く返す。武人はまた眉間に皺を寄せた。




「友達かもしれねえし」

な、と付け加えた武人に、俺は再度ため息を吐き出す。



「友達があんなことするかよ」

細かく言う気にはならなかった。あの現実を口にして、確かなものにすることが怖かった。




先日のデートで遭遇した彼女の昔の友人といった男を思い返す。

確かに彼女は人懐っこく、誰に対してでも慣れた空気を作り出せる不思議な女性だ。
武人と接している時だって、例外ではなかった。



だが今回のことは別だ。事実彼女はあの日から、俺の前に姿を現そうとしない。





「直接、聞いてみた方がいいんじゃねえの?」


顎を動かしながら、武人は身を乗り出す。
聞く勇気なんてあるはずがない。長い付き合いだ。武人にだって、分かっているはずだ。



突然、ヘリコプターが上空を通過する時のような音が響き、眉を顰める。
机上に置いてあった俺の黒い携帯が震えて、紙コップに触れその音を響かせていた。



ため息を吐きながら、携帯を掴み取るように手にする。

何気なく目を落とした画面に表示された菜月の名前に、目を見張る。
躊躇する暇もなく、すぐさま通話ボタンを親指で押す。





「もしもし、智也?」

いつもと何ら変わりのない菜月の声に、鼓動は早まっていくばかりで。



「ああ。どうした?」


平静を装って答えた俺に、目の前でカフェオレを啜っていた武人が眉を吊り上げ、俺を見る。




「今日、一緒に家でご飯食べないかなぁって思って……」

唐突すぎる意外な誘いに、俺は目を丸くする。彼女の家には一度も足を踏み入れた事がない。



「いいよ」


短く答え、コーヒーのカップを取ろうと片手を伸ばす。
その手が僅かに震えていることに気付き、俺はすぐさまその手を引っ込めた。




「食材買いに行きたいんだけど……付き合ってくれる?」


遠慮がちに言った彼女に、すぐさま承諾の返事を返す。
武人は相変わらず眉を吊り上げたまま、俺を睨むように見つめていた。




「じゃあ、スーパーの前で待ってる」


可愛らしく言った彼女は、俺の返事を聞き、いつものようにころりと笑って電話を切った。
音を立てて黒を閉め、鞄を手に立ち上がる。

その腕を、案の定武人が掴んで止めた。これじゃまるで、少女漫画にでも出てきそうな展開だ。





「行くのか?」

強く言った武人の声は、あからさまなほどに鋭い冷たさを帯びていた。




「どうしようもねえだろ」


低く呟いて、武人の手を強引に振り払う。後ろも見ずに、そのファーストフード店を後にした。



本当に、どうしようもない。

例え彼女が俺を騙していたとしたって。
俺が彼女を好きになった時点で、後戻りなんてできるはずがなかったんだから。












「菜月っ」


人と人との間に彼女を見つけ、俺は雑踏を横切っていく。
顔を上げた彼女は、いつもと同じ太陽のような笑顔を浮かべた。


店から待ち合わせ場所までを早足で来たせいか、自然と呼吸は熱を持っていて。
白い煙が、口元から漏れる。




「ごめんね、急に」


口調とは裏腹に少し微笑んだ彼女に、いや、と首を小さく左右に動かす。
突然足を止めたからか、一気に足元と背中から暖気が襲った。




「ずっと忙しくて連絡取れなかったから……久しぶりに顔、見たくなっちゃったの」


照れたように手の甲を口元に押し付けた彼女は、
少し俯いて遠慮がちに頬を染めて微笑みを浮かべる。

心臓が一瞬飛び跳ね、直後鋭い痛みを感じた。




あの日見たワンシーンだけで、俺は菜月のことを信じられなくなっている。
彼女の一言一言に、何かを感じるようになっている。

それでも、俺にはどうしようもない。



「俺も」



極力いつもと変わらない風に平静を装って笑みを浮かべた俺に、菜月は幸せそうに笑った。






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