俺と彼女と…
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「えー、じゃあ告白したのって菜月からだったの?」


心底意外そうに目を見開いた愛さんは、楽しそうに笑みを浮かべる。
菜月は苦笑しつつも頷いた。




「菜月って告白とかしなさそうなイメージだったのに」


食器も何も片付け何もないテーブルに肘をついた愛さんに、俺は僅かに眉を寄せる。

さっきから、こんなことの繰り返しだ。どうも言葉のニュアンスがおかしい。
姉妹なら何でも知ってる、というわけでは勿論ないだろうが、それにしても変だ。




「だって智也が告白してくんないんだもん」


拗ねたように可愛らしく唇を尖らせた菜月に、俺は頭の中にあった疑問も何も全て取り去り、
苦笑を浮かべる。





瞬間、がたり、と玄関の方の闇から音が届いた。
驚いてそちらを見遣ると、そこからゆっくりと人影が現れる。




「なつー、酒買ってきたぞー」


明るい茶色の頭が、姿を見せる。満面の笑みを浮かべた龍は、
たくさんの色とりどりの缶を掲げて見せた直後、俺と愛さんの姿を目に入れて驚いた顔をした。



「お、愛、智也、来てたんだ」


はにかんだ龍に、愛さんがうん、と実に自然に頷く。
言葉を失う、というのはこのことだろう、と俺は瞬間思った。



何に驚いたかって、夜遅くに龍が平然と菜月を訪れたことでもなく、
菜月がしっかりと鍵をしていたはずの扉から、龍が自力で入ってきたことでもなく。


俺に忠告していたはずの酒を彼が手にしていたことと、
そしてそれを極当たり前のことのように愛さんも、そして菜月も受け入れていたことだった。





「ていうか、ちゃんとチャイムくらい鳴らしてから入ってきてっていつも言ってるでしょ」


咎めるように、それでも可愛らしい声と表情で言った菜月に、
龍がいつも通り軽いノリでわりぃわりぃ、と笑った。




「相変わらずだねー、龍は」

頬杖をついて、何処か馬鹿にするように笑いながら愛さんが言う。



「なんだよ、他人行儀だな」

拗ねた少年のように頬を少し膨らませた龍に、菜月が明るい笑い声を上げる。




「だって会ったの帰国以来でしょ? それ抜きにしたら三カ月以上顔合わせてなかったんだし」


確かにな、と今更気付いたように頷いた龍の隣に置かれた、ビニール袋に視線を移した。
それは、まるで飲まれることを今か今かと待ち構えているようにも思えた。




「なのに龍は何の進歩もなし」

手を広げて、呆れたようにあからさまなため息をついた愛さんに、更に菜月が笑う。



「お前もな。三カ月ぶりに会っても化粧濃いまんまだしっ」


愛さんの鼻先に指を突き付けた龍は、したり顔で言う。愛さんが顔を不機嫌そうにむすっと顰めた。




「龍ってば、愛ちゃんに何てこと言うのっ」


愛さんに庇うように抱きついた菜月は、先程の龍とさして変わりない、
拗ねた子供の様な表情で頬を膨らませ、龍を睨む。




「何だよ、なつも愛の味方か? よーし、受けて立とうじゃないか。やるぞ、智也!」


勝手に解釈し、やる気満々で勢いよく立ちあがった龍に、突然話を振られて俺は思わずはぁ?  と
間の抜けた声を上げる。



「やるって、何をだよ」


俺の返事を聞く前に、俺の腕を掴み無理やり立ち上がらせた龍に、眉を顰めて尋ねる。
だけど不思議と、嫌な感じはしなかった。




「決まってんだろ! テニスだ、テニス!」


興奮して唾でも飛ばしそうな勢いで言った龍に、おいおい、と思わず突っ込みを入れる。
話が飛躍しすぎている。大体にして、もう夜遅くだ。


もぉ、と可愛らしく不平を言った菜月は、テレビの下から何かを引きずり出した。



「ウィーのこと。勝負って言うといつもこれなの」

呆れたように、でも笑いながら言った菜月に、あぁ、とようやく合点がいった。




「やるよな? 勿論」


俺の腕を力強く掴んだまま、龍が迫る。顔が近い。





「しゃあねぇな」


気合いが十分すぎるほどに入った、期待の籠った目に向かって、思わず苦笑しながら言う。
満足げに歯をにっと見せた龍は、何となく菜月のあの無邪気な笑顔を連想させた。












ポンポンっとボールが飛び跳ね、俺(に似せたつもりらしい溶けかかった男)に向かってくる。


ゆっくりと腕を後ろに上げ、初めは比較的ゆっくり、身体の真横にラケットが来てボールとぶつかったら、
振り切るように素早く振る。スコーン、と綺麗な音が響いた。





「菜月!」

「はい!」


険しい表情で言葉を交わし合った姉妹。
菜月は強い眼差しで画面を見つめ、腕を斜め上に振り上げた。

肩を上手に使い、思い切り掴んだ白いコントローラーを振りおろす。
スッコーンと鮮やかな音を立て、俺(に似せた…以下略)の真横にボールが打ちつけられた。




「来たー! スマッシュー! っておい!」


織田裕二、もとい山本高広風にガッツポーズをして言った龍は、
直後吠えるように突っ込み、俺の肩を思い切りど突く。




「お前真面目にやってんのか!」

龍より背の低い俺に覆いかぶさるように詰め寄った龍は、興奮したように怒鳴る。



「やってるっつの」

眉を寄せ、面倒くせえと思いつつ返す。


あのスマッシュが龍の元へ飛んで行ったとしていても、奴があれを返せたとは思えない。
第一、スマッシュとは返せないことを前提としたようなものではないのか。




「それでも男か! プライドあんのかっ?」

喚くように言った龍の声の大きさに、俺は更に眉を顰める。



「龍、ちょっと黙んなよ」


呆れ返ったように言った菜月は、まるでお姉さんのように龍の服の襟を後ろから掴み、
俺から引き剥がす。





「ごめんね、智也」

申し訳なさそうに眉を上げ、龍と立ち替わりで俺の前に立った菜月は言う。



「いいよ、別に」


苦笑を浮かべて、首の後ろを掻く。
面倒臭いし、うざったいけれど、龍の相手はなかなか飽きない。




「龍ってば、自分が私に買ってくれたくせに、龍の方がはまっちゃって……」


疲れたように笑った菜月の顔にも、やっぱり楽しそうな色が浮かんでいて。
しかし、ウィーを妹に買ってやる兄というのも、一人っ子の俺にとっては何だか胡散臭く思える。




「こらー! そこー! ウィーを馬鹿にするでない!」


愛さんとそっちで談笑していた龍が突然、大声で菜月を指さし怒鳴る。
たちの悪い酔っ払い同然だ。



「別に馬鹿にしてないじゃん。うるさいよ」


唇を尖らせ顔を顰め、まるで思春期の少女が親父を追い払うような口調で言った菜月に、
俺は思わず笑いを洩らす。




「うるさいとはなんだ、うるさいとは! そんな子供に育てた覚えはない!」

顔を真っ赤にした龍は、その整った眉を吊り上げる。



「龍なんかに育てられてないし、子供でもないですけどー」


今度は幼い少年が大人をからかうような表情で、菜月がおどけて言う。




「きーっ!」


手で何か重いものを持っているかのように手の平を広げ、ぶるぶると震わせた龍は、
頭の血管が切れてしまうのではないかと思わせるほどに、頭に血を昇らせた。




「ちょっと龍、酔っ払ってんの?」

どうしようもない、とでもいうように呆れた笑みを浮かべた愛さんに、俺も心の中で激しく同調した。





「……キレてないっすよ」


急に黙り込んだ龍は、人差し指を左右に小さく振り、何とも間の抜けた表情で言う。
その瞬間、俺も菜月も愛さんも、弾けたように笑いだした。




「誰もキレてるなんて言ってないし! ってか古っ」


お腹を抱えて涙目になりながら、菜月は笑いと共に言葉を出す。もう、腹筋が攣りそうだった。




「……キレてないっすよ。キレてないっす……」


段々とスローモーションのように速度も音量も落として言った龍は、人差し指を立てたまま固まる。
ゆっくりと、奴の瞼が下りた。





「ちょっと、龍?」


笑いながら、愛さんが若干俯きがちになった龍の顔を覗きこむ。
無邪気に笑い転げていた菜月も、近寄ってきて龍の顔を覗きこんだ。




「龍ー。龍さーん」


茶目っ気溢れる口調で言った菜月は、奴の目の前に手の平を振りかざす。
奴は終始無言で、それどころか規則的な息の音すら聞こえてきた。





「……寝ちゃったし」


呆気に取られたように言った菜月は、口をぽかりと小さく開けたまま、俺の方を振り返る。
目を合わせた瞬間、俺も彼女も、またも弾けたように笑いだした。




「何こいつーっ」


潤んだ目を細めて、お腹を抱えて身体を揺する愛さんや菜月を見ると、
ますます笑いが込み上げてくる。





さっきまで龍や愛さん、そして誰より菜月に抱いていた不信感や蟠りも、
その時は全て忘れて、ただひたすら目の前に溢れる小さな幸せを味わっていた。






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