俺と彼女と…
13


学食で明るい声で騒いでいる女の中から、俺は何故か一瞬にして
春奈の背中を見つけた。彼女の周りにいる女たちの中に、菜月の姿はなかった。




学部も取っている授業もほとんど同じである春奈と菜月は、常に行動を共にしている。

菜月の話だと、高校は付属校に通っていた菜月と公立高校だった春奈とでは違うが、
近所に住んでいたため、いわゆる幼馴染というものだったらしい。




「春奈」


俺には一度も見せたことのない、一般的な女子大生らしい華やかな笑顔を浮かべた春奈に、呼び掛ける。
勢いよく振り返った彼女は、一瞬目を丸くしたがすぐに何? とわりと明るく切り返した。



「菜月は?」


周りの茶髪の女たちからの視線を気にしないように、と意識しつつ尋ねる。
きゅっと僅かに、春奈の眉が寄せられたのを見た。




「図書館で勉強するって言ってたよ」


一瞬躊躇したものの、春奈はため息と共に力なく言った。
諦めが悪いのは、果たして彼女か俺か。



「分かった。ありがと」


軽く素っ気なく言った俺に、春奈の真っ直ぐな視線が突き刺さる。



忠告を受けて、まだ二日と経っていない。
この意味は、きっと春奈にも伝わったはずだ。


彼女の視線に気づかないふりをして、俺は学食を後にした。












小さな背中が見えた。一度見たことのある濃いピンク色をしたニット。
ポニーテールによって、その白いうなじが晒されていた。




「菜月」


そっと、周囲の人間に迷惑をかけない程度の音量で声をかける。
ぱっと顔を上げた菜月に、俺は逆に面喰った。

真っ直ぐに見つめた彼女の瞳との間に、ガラスのフィルターがあったのだ。




「智也、ちょうど今、メールしようと思ってたの」


菜月が、それでも変わらない柔らかな微笑みを浮かべる。

今日は二時から講義があると、菜月に伝えておいたのだ。
そして彼女は午前のみだったから、俺が終わるまできっとここで勉強するつもりだったのだろう。





「あ、これ?」


やはり気になって思わずじっと見つめてしまった俺に、菜月は照れながらはにかんで、
自分の眼鏡に触れた。



「実は私、遠視なんだ」


ころりと笑った菜月に、へぇ、と気に留めない風に返す。
だけど気付いていた。レンズ越しに見た彼女の瞳が、一瞬僅かに曇りを見せたこと。




「智也も二時まで、一緒にやるでしょ?」


可愛らしい微笑みに、俺も笑顔で頷く。 武人は、彼女になる予定らしい女の子と二時までデートだ。





「今日、家で夕飯食べない?」

大きな瞳をくるりと俺に向けて言った菜月に、胸が高鳴る。



「いいの?」

もう何度か彼女の料理はご馳走になっているが、菜月の作るものは何でも旨い。



愛さんの話によると、菜月も龍も愛さんも、三人揃って高校入学と同時に家から追い出され、
一人で暮らしているらしい。親の計らいだ、と言っていたが、彼女もその生活に満足しているようだった。




「もちろん。じゃあ、講義終わったら西門で待ち合わせね」


輝くような笑顔を見せた菜月に、俺も笑顔で頷く。
だが、"西門"の言葉に胸の奥に棘が刺さったように痛みが奔った。



もう、気にすることなんかない。龍とのことはとっくに納得できてる。
そう言い聞かせても、あの日の記憶はしがみつくように俺の脳裏から離れない。


俺はただ、目の前にあるこの笑顔を見ていられれば、それだけで幸せなはずなのに。












「ねぇ、シチューとハヤシライス、どっちが好き?」


綺麗な瞳が、幸せそうな色を浮かべて俺を見つめる。
彼女の手には小さなジャガイモが握られていた。



「んー、どちらかと言えばシチューかな」

まるで夫婦が夕飯の相談をするような会話に、俺は至福を感じつつ答える。



「じゃあ後、鶏肉と牛乳だね」


可愛らしい笑顔を浮かべた菜月に、俺も微笑んで頷いた。
既にニンジンとジャガイモは籠に入れられている。





「なぁ、菜月」


牛乳を選び始めていた菜月の横に立ち、呼び掛ける。
菜月は目をくるりと動かして俺を見つめた。



「龍ってさ……」


言葉を止める。さまざまな龍に関する記憶が、走馬灯のように駆け抜ける。
なぁに? と菜月は可愛らしく先を促した。





「……ゲイ?」

周りにいた人たちの視線を浴びないよう、控え目に尋ねる。


聞きたいことなんて、嫌というほどあった。こんな下らない質問をすることに意義だって感じられない。
だが、背を向けたかった。真実を知ることから。



「えー、どうして?」


可笑しそうに目を細めて、幼い少女のように無邪気に笑いながら返した菜月に、
胸の奥がじんわりと熱くなったのを感じた。




「なんか寝ぼけて"仁ー"とか言って、俺の腕掴んできたんだよ」


軽いノリで言った俺に、菜月の顔が誰が見ても分かるほどに硬直した。
視線が空中を彷徨い、取り繕うように曖昧な笑みが頬に張り付けられる。


どくり、と体中の血管が波打った。





「……確か仁って人、龍の友達だったと思うけど」

機械仕掛けの人形のように、ぎこちない動作で右手で髪に触れた菜月は、力なく笑う。




「よっぽど嫌な思い出でもあるのか、よくその人の名前呼んで魘されてるの」


ぱっと俺から顔を逸らし、再び牛乳を選び始める。
ふーん、と俺も大して気に留めていないかのように装って返す。



確かに、あの時の龍は苦しそうだった。
だが、菜月の仕草を見ていると、真っ直ぐに入ってこない。

疑ってしまう。どんな言葉でも……。




「でも、ゲイじゃないと思うよ? ちょっと前まで彼女いたし」


笑みを浮かべ、茶目っ気を含めて言った菜月は、明るい少女に戻っていた。
胸の奥で、複雑に想いが入り乱れる。




「でも、彼女作れないって……」



あの時、拗ねた子供のように面白おかしく言った龍を見つめた、菜月の瞳。
龍と初めて出会った日、弟ができたみたいだと言った龍に何故か動揺した彼女。

その時と同じだったとは言わない。だが何故か、心の中の同じところに引っかかっていた。




「あんなの大袈裟だよ。いつも長く続かないから拗ねてるだけなの」


目を細めて、呆れたように笑みを浮かべる。
長い睫毛で隠された、その瞳の色を確かめたかった。



心の中で、自分を責め立てる。
こんなにも好きで、こんなにも大切に想っているはずなのに、菜月を疑ってばかりだ。





追いかけても追いかけても、すり抜けてしまう謎の答え。
苛立ちばかりが募って、菜月を、大切な人を信じることすらできない。


こんなんじゃ駄目だって、信じることは簡単なはずだって、そう言い聞かせるのに。






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