俺と彼女と…
19
「じゃあ何? 何が言いたいのっ?」
きつく責め立てるような声が、不意に耳に届いて、俺は瞼をゆっくりと開く。
柔らかい光に、目を細めた。
未だに夢の中で彷徨っている、意識のおぼろげな頭が徐々に回り始める。
そっと、気だるさの残る身体を起こした。
昨日、愛さんと菜月が楽しげにガールズトークを繰り広げる傍らで、
俺と龍は他愛もない話をだらだらとしながら酒を飲んだ。
その後、いつも通り愛さんは深夜龍に送られて自分の家へ帰り、
戻って来た龍と俺はもう一度飲み直して、日付をとうにまたいでいるのに気付いたところで、
菜月の部屋で眠りについた。
「結局あんたは、私に"おかげで助かりました、ありがとうございました"って言わせたいだけでしょ?」
ちゃんと聞こえているはずの菜月の言葉は、どれもこれも頭に染み込まず通り抜けていく。
菜月一人がリビングに立つ、その後ろ姿が見える。
電話をしているのだろう。
「ふざけないでっ!」
突然ヒステリックに叫んだ彼女に、俺は目を見張り息を止める。
一瞬にして、意識がはっきりと戻る。
不意にその脳裏に、俺に対してはっきりと拒絶の色を見せた一昨日の菜月の姿が、
鮮明に浮かび上がった。鋭い痛みが頭を突き抜ける。
「……あいつはこの二年間、守られ続けてきたんだよ。ずっと、何も知らずに……
私たちがどんな思いしてきたかも知らずに!」
僅かに震えていた声は、最後には泣き叫ぶような声に変わって。
俺は慌てて布団から出る。
「今私がどんなにあいつを憎んでるかなんて、あんたには分からないでしょっ!?」
聞いているだけで、胸が引き裂かれそうなほどに悲痛な声に吸い寄せられるように、
俺は菜月の背中に歩み寄る。
瞬間、はっと息を呑む音がして、菜月が勢いよく振り返った。
驚きと、ありありとした悲しみの入り混じった表情で俺を見つめた菜月は、一瞬の間の後、
ついと目をそらす。
「……しばらく、電話してこないで」
消え入りそうな声で、疲れたように呟いた菜月は、相手の返事を聞く間もなく電話を切る。
「……ごめん、朝食の支度するね」
重たく流れた沈黙を振り切るように目を伏せたまま、菜月は引きつった笑みを僅かに浮かべて、
キッチンへと逃げていく。
その腕を掴み引き留めようとした瞬間、脳裏を走馬灯のように悲しい記憶が駆け抜け、
胸に鋭い痛みが奔った。
菜月は、俺が踏み込むことを拒絶している。
痛いほどにそれを全身で感じているのに、問い詰めてお互いが嫌な思いをするなんて、まるで無意味だ。
拳を握りしめ、俯いて震える息を吐き出す。
「智也」
不意に背後から声がして、俺は驚いて勢いよく振り返る。
ソファに横たわって寝ていたはずの龍が、身を起こし真っ直ぐに俺を見つめていた。
「起きてたのか」
「そりゃ、あんだけ怒鳴ってればな」
困ったように苦笑した龍は、ぎこちないとも取れる手つきで頭を掻く。
龍の瞳は僅かに曇って見えた。
「……今の、多分親父」
言いにくそうに、歯切れの悪い口調で言った龍に、俺は目を丸くする。
想像もできなかった答えだし、思い返してみても相手が父親だったとは思えない。
だけど、苦い表情をしている龍に、疑いを抱くことができない。
「あいつ、親父と昔から仲悪いっていうか……相性悪いみたいでさ。しょっちゅう衝突してんだよ」
困ったように眉を歪め、深くため息をついた龍の目は、俺からは外され、
どこか遠くを見つめているようだった。まるで何かを、思い起こしているかのように。
「……お前が、色々疑いたくなる気持ちも分かるよ。確かにあいつは、
お前に話してないことが多すぎると思うし、あの男……三上にも、会ったって聞いたし」
戸惑いの色を隠せないでいた俺に、龍は穏やかに語る。
だけど、どうも引っかかった。
あの男、とすんなりと言った龍はつい思わず言ってしまった、とでもいうように顔を一瞬だけ顰めた。
そして言いづらそうに三上、と訂正したのだ。
「……でも、信じてやって。こんなんでも俺兄貴だから、あいつの恋応援してやりたいんだ」
柔らかく言った龍の言葉に、俺は若干俯けていた顔を上げる。
瞬間、息を止めた。
真っ直ぐに俺を捉える龍の瞳が、あまりに真剣で、切実に何かを訴えているかのようだったから。
「あいつ、お前に本気なんだよ」
口元に優しい笑みを湛え、それでいて怖いくらいに重く真剣みを帯びた視線で俺を捉える龍に、
行き場のない感情が湧いて、俺は奥歯を噛み締める。
「分かってる」
本心ではない、単なる強がりだった。
それでも、龍にも俺自身にも、そう思い込ませることしか、俺に成す術はなかった。
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