ずっと隣で
03


「あ、圭ー、莉子ー!」


大きな声で私たちを呼んだ真菜が、人混みから背伸びをして顔を出し、
周りにぶつかりそうなほど大きく手を振る。

駅前は人通りが多い。周りの人間は少し迷惑そうに眉を寄せて彼女を通り過ぎた。


隣で彼女と同じようにこっちを見ている男、彰人は、きっと今真菜とは他人のふりをしたいだろう。
私と圭は顔を見合わせて笑みを浮かべ、一緒に小走りに二人の方へと駆け寄る。





「おはよー」

笑顔で言った私に、真菜と彰人も笑みを浮かべて返す。



「圭、平気?」


一昨日の出来事を私からの報告の電話によって知っている真菜が、
その大きな目を心配そうに曇らせて圭を見る。



「心配ご無用っ」

深く被ったキャップの唾の上で敬礼のポーズを取った圭に、彰人が小さく噴き出す。





「あそ」

「えー、ちょ、冷たくね?」


あっさりと言い放って先を歩き始めた真菜に、圭が唇を尖らせる。



真菜と彰人、そして私と圭は同じ大学附属の私立高校の三年だ。

季節は秋で、もう通常なら受験勉強に必死になっていなければならない時期。
周りが焦る分、私たちは優越にも似た余裕を感じる。







「楽しみだねー、"スパイ"」


隣に並んだ真菜が、笑顔を浮かべて私を見る。うん、と笑顔で頷いた。



今日は大分前から大騒ぎされていた「スパイ」という映画の公開日だ。
放映前から、既に日本アカデミー賞受賞候補とも言われているほど力の入れられた作品。

私たちも噂に便乗するように、公開日当日に一緒に見に行く約束を、大分前からしていた。



「新しい俺の発見だからね」

圭が親指を立てて、そのキャップの下に笑顔を覗かせる。



そう、この「スパイ」。主役を演じるのは紛れもなくこの緒方圭だ。

そしてその相手役に、圭より五歳以上年上のかっこいい、と定評の人気女優、伊崎恵那。
父親役には渋みが人気な大物俳優の石橋徹。痺れるほどの豪華なキャストだ。







「あ、圭だー! 圭がいるー!」


私の肩をばしばしと音がするほど強く叩きながら、真菜は興奮した様子で斜め上を指さす。
見上げると、拳銃を持った伊崎恵那と背中合わせに立った緒方圭の姿が、映画館の壁に張り出されている。



「かっけーなぁ」


同じようにその大きなポスターを見上げた彰人が感心するように呟いた。
真剣な顔をした圭の左頬には、傷が付いている。





「だろ? だろ?」

「あんたじゃないから」


目を輝かせて言った圭に、真菜が冷たく言い放つ。ひでぇ、と呟いた圭は、また唇を尖らせた。



彼女たちにとっては、緒方圭と同級生の圭は別人だ。
圭は圭として好いているし、緒方圭は緒方圭として大好きで憧れにも似た感情を抱いている。

そうやって割り切って考えている分、圭も安心して付き合えているのだろうけど。







「圭、やっぱり痩せたよね」

無人のエレベータに乗りこんで、圭のキャップの影の落とされた顔を見上げる。



「役作りでかなり減量してたからね」


僅かに笑みを浮かべて、自分の右手で顎の辺りを触る。

つい先日クランクアップしたドラマの役作りでは、闘病人になったから、
確か八キロは減量させられたはずだ。

彼はそれを、役者として誇りに思っているらしいけど。





「ま、でもすぐに戻るだろ」


圭は笑いながら言って、キャップの頭に手を当てる。
圭は見た目に似合わず大食いだ。それで太って、よく黒崎さんに説教を食らうんだけど。





小さく、咳き込む。頭に痛みが奔った。


「大丈夫?」

圭が、身を屈めて私の顔を覗き込む。微笑みを浮かべて小さく頷いた。



「莉子、もしかして風邪?」


にやり、とからかうように笑みを浮かべた真菜に、眉を寄せる。
確かに、圭に張り付いていた昨夜はともかく、朝家に帰ってからも何となく熱の籠った感じがした。



「んー、かも」


小さく呟いて、右手を額に当てる。
エレベータががくん、と上下に小さく動いて止まった。開かれた重い扉を縫って抜け出る。



「うわー、圭最悪ー」

大袈裟な口調で言った真菜に、同調するように彰人も大きく頷く。



「……ごめんなさい」

小さく肩を竦めて、圭が弱弱しく呟いた。みんなで一斉に笑いだす。





「それにしても、すごい人ね」


感心するように言った真菜に、同意を込めて頷く。受付の前に出来た長蛇の列の最後尾に立つ。
予約をしているから席の心配はいらないが、それにしても人数が半端ではない。





「さすが俺っ」

「だから、あんたじゃないって」


満面の笑みを浮かべた圭に、真菜が鋭い睨みを利かせる。彰人が堪らず噴き出した。












「何か食う?」

受付を済ませて売店まで来たところで、圭が後ろポケットからヴィトンのダミエの長財布を取り出す。



「キャラメルポップコーン食べたいけど……自分で買う」


抗議するように唇を尖らせて言う。圭が拗ねたように唇を突き出した。



「俺が払いたいのっ」

駄々をこねる子供のような口調で言った圭の眉間の前に、人差し指をかざす。



「いっつもそうさせてあげてるでしょ!」


圭が、子供の拗ねたような顔を作る。
そんな目で私を見たって無駄だ。いつも圭は決して私に財布を出させない。




「いいじゃん、金は腐るほどあるんだし」


眉間に突き立てていた私の人差し指を優しく握って、それを退けた圭は、屈託のない笑みを浮かべて言う。



「悪かったな、金なくて」


突然後ろからぬっと出てきた彰人が、少し下から圭の耳朶を強く掴んで引っ張り、恨みがましく言う。
私も真菜も、思わず笑みを零した。



いつもこんなだけど、圭に全く悪気はない。

彼は、ただ自分の好きなことを学び、自分の好きなことをしているだけで、
お金は勝手に付いてくる、みたいな感覚でいるから。

そして彼には、その勝手に付いてきた金を使いきるほどの時間が与えられていない。



それでもやっぱり、毎度毎度お金を出されるのもいい気はしない。
圭もそれは分かってるんだろうなと思うけど。





「とにかく、今日は俺が払うのっ。映画見に来てくれたお礼も兼ねてさ」


彰人から無理やりに逃れた圭は、尤もらしいことを言って私の手首を掴んでどんどんレジへと向かう。
呆れたため息をつきながらも、小さく苦笑した。

結局はいつもこうして圭の笑顔に負けるのだ。





「惚れた弱みねー」


圭が支払いを済ますのを隣で待っていた私の横に、真菜がひょこっと顔を出す。
否定せずに、黙って苦笑を浮かべた。






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